2011-04-24

00:14
オタクが強固に思っているほどの「オタクに対して差別的な一般人」というものに会ったことがない。そういう架空の「一般人」を夢想することで自身の燃料にしている部分があるとは思う。うーん、自意識過剰による仮想敵。本当はオタクも一般人もいないんだけどなぁ。

00:17
逆に架空の一般人という概念を強固にすることで初めて、オタクという概念を定義できるのではないか。オタクがオタクであるために一般人という仮想敵が必要。で、次第にその仮装概念が世間にも流通するようになり、人はオタクを語るときその服を着るようになる。

00:21
人を呪わば穴二つではないが、オタクを差別する「一般人」という文脈は、強い志向性を持つ人間がオタクというスタイルで自己定義したいために作り出したもので、オタクと名指しされるよりもはるかに、オタクを名指しする一般人に類似する行動をとる人間のほうを名指しする回数の方が多いのではないか。

00:26
@iwa_jose わたしはオタクに「なる」のは他者とコミュニケーションを取るためであって、自分がある分野に志向を持つこと自体を「オタク」とは考えていません。あえてそう名乗り、自己定義するのはコミュニケーションツールとしての要素が実は強いのではと思っています。

00:28
志向自体がオタクなのではなく、自分の志向をどう定義したいか、どう定義してもらいたいかを考えたとき、初めて「オタク」という皮をかぶるのだと思っています。

00:30
そう考えると、「オタク」って自己定義することは、ぜんぜん内向きじゃなく、少なくとも「自己完結」するためにやる行動じゃないなぁ、と。

00:36
志向を持つ人間が「オタク」という服を自由に着たり脱いだりできる世の中になったからこそ、オタクとして定義していた「偏見にみちた一般人」という服を着たり脱いだりする人間も現れてきたのでは、と。

00:39
なんだかんだで「いい世の中」になったんじゃないかなぁとは、そういう点では思っています。みんなが好きな服を着ることができるようになった、と。ただ、自分が服を着ていることも忘れるセカイに同時になったのかも知れませんが。

00:42
自分で着たんじゃない服を、着ていることを忘れる。というのは今までの世の中で普通にあったんですが、これからは自分で着たはずの服も忘れるほど、脳味噌が肥大化する社会になっていく気がします。それもふくめて「いい世の中」になっている気がします。

00:53
@iwa_jose 前者が主目的かと思います。ただ、オタクという定義に自ら「入って」いったはずなのに、なぜか「オタクとして差別されている」と差別の所以として語り、同時にオタクとして定義されたがる。そういう相反した「そぶり」を仲間に示さなきゃいけない場としたら、うっとうしいですね。

01:00
「オタク」とカテゴライズされる志向性を自分が持っていることは恥でも何でもない誇りだけど、仮想敵を用意して自己批判しなきゃいけない定義なのだとしたら、たまらんなぁ。


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