2011-10-30

21:14
たぶん私が憎むべき日本って、現代にも近代にもなく、近世にあるんだろうな。距離がそれを忘れさせるだけで。

21:19
私は仏教を信じているが、他人が仏教を信じようが信じまいが私の関わるところではない、となってしまう自分は小乗的なのかなぁ。

21:22
大乗仏教が作り上げたコスモロジーは好きなのだが、そのコスモロジーが釈迦の教えを、シンプルに理解するための妨げになっていないかとは、ずっと考えている。

21:24
大乗のコスモロジーは教えを理解するための方便でもあるのだが、最初からその世界の中に生きている場合、それは実態であり、救いのための手段ではなくなる。

21:24
で、古代以来、日本人は無意識に大乗のコスモロジーの中に生かされてしまっている。

21:28
このコスモロジーの中で生きるのを辞められない場合には、それを更に進展させ、ついに非仏教的な部分まで踏み込んでしまった浄土真宗が、逆に救いのためにもっとも有効ではないのかという気すらする。

23:02
@m8daw 真宗って仏教という空、大乗という土の中で育つ「花」だと思います。

23:24
@LDmanken 浄土真宗って、親鸞の懊悩と教学の末にあの教えがあることを考えないと、えらく単純な自己肯定に思えてしまうところがネックかもしれません。

23:29
江戸時代って、我々が思うよりもはるかに仏教的世界観や仏教用語で人々が生きてるな、と落語聞いてると思う。

23:30
江戸時代ですらかほどなのだから、いわんや中世、古代をや、と思う。

23:32
落語の始まりには諸説あるが僧侶の説教に淵源を発するのは共通する。だのにえらく罰当たりだったり、仏教をこき下ろす話が多い。

23:34
私は落語をチャレンジの漫画のようなものだと思っている。志望校合格が涅槃で、進研ゼミの受講が出家、そしてチャレンジへの入会を誘うマンガが説教であり、絵解きであり、落語。

23:37
で、このチャレンジへの勧誘であるはずのマンガが、だんだんと化膿、もとい成熟していく。しまいにはチャレンジへの勧誘よりもスジのおもしろさへとシフトしていく。それと同じように落語も成熟とともに、母体である仏教をこき下ろしたり罰当たりな内容へとシフトしていく。

23:57
@LDmanken ああ、すいません。大乗のコスモロジーから生じた、全ての要素が方便で、人間以外の生き物も一つの道へつながる、という最澄以来の日本仏教の枠組みに生きることは本当の意味で仏教を理解することか、悪い意味で自己の放棄に荷担してこなかったかと思ったのでつぶやいてました。


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