2012-06-23

11:55
古代史でしばし皇族、王族=王権の代弁者として貴族層と対立するという発想を見るが、たぶん違うと思う。
王権は皇族、王族。および貴族層とも一定の距離があって、それを特定の王族が担う段階で、始めて王権を中軸とした与党、野党が構成されるのだと私は思う。

11:57
承和の変なんかを見ると、そこの部分が露骨にわかる。同時に氏族の原理というのが、王権と、対置するものとして働いていないこともわかる。

12:01
王権というのはなんだかんだで、天皇ごとに「再構成」される。摂関期でもその「原理」に大枠で変化はない。

12:03
五代十国みたいに皇帝と貴族が切り離されて、なお独自に存し続けるなんて状態は、少なくとも古代にはないなぁ。

12:04
古代は言いすぎた。「欽明以後の古代」ぐらい。

12:34
じゃあ王権って一体なんなんだ。といえば「推戴されたもの」だとしか言いようがない。たぶん当初は鎌倉幕府の将軍並にヘロヘロ。

12:37
律令を導入したことで王権自体は強化されたと思う。聖武長屋王の宮子尊号論争を挙げて「王権と律令法の対立」というが、それは制度上の問題であって、少なくとも法の統括者という権威を与えられたことで、王権は「推戴されたもの」という立場から、数ランク以上上昇したと思う。

12:42
王権を行使する「個人」は律令法によって掣肘されるが、「王権そのもの」は律令法によって強化されている。
何故なら天皇個人は「王権の担い手」であって、王権そのものではないから。ここらへんをごっちゃにしてしまってはいけない。

12:51
法整備が進むとともに、王権の担い手の「軍事権を発動する力」が鈍ってくる。大陸では常時「敵」が現れるので、ここらへんは改革や革命によって更新され続けるが、日本は基本的に外敵を設定し難い地理的状況なので、内部抗争を調停する人間が、王権に代わり軍事権を更新していく。

12:54
「政の要は軍事なり」という天武天皇の言葉は、この意味でも日本史トップレベルの至言だと思う。法により「推戴されたもの」という立場から脱却を図るとともに、法のため、かえって遠ざけられる「軍事」を、自分のもとに引き戻さなければならない。
天武のここらへんのバランス感覚は素晴らしい。

12:59
嵯峨の蔵人頭は弁と中将を兼任することで、「最小限政治、軍事組織」といった感があり、面白い。蔵人別当なんて余計なもん作りやがって、凡百の組織と同質化しやがった時平のヤローを俺は許さん。

13:00
なんか、蔵人頭って夢があるんだよなぁ。九世紀のいろいろな可能性が詰まった組織。九世紀の「ときめき」だわね。

14:06
今日気づいたんだが、俺は藤原時平が嫌いらしいんだ。
いや、蔵人別当配置や、古麻呂流大伴氏をディスったりするとことかの、菅原道真とは全然関係ない理由で。

15:53
急進的反対派派と漸次反対派と容認派がいて、漸次派が急進派に、「自重しろ」というのはなんだかなと思う。急進派がいるからこそ、容認派に「私たちはマトモに話ができるグループですよ」とアピールができるんだし、有利な条件を盛ることができるのに。なんで同族で無意味なつぶしあいに走るんかね。

15:56
自分と同じ水準の「お利口さん」にみんながなったら、自分の目標の水準が達成できるとでも思っているのだろうか。自分以外の誰かが「先走って」くれるから、穏健派は要求を「盛れる」んだよ。

16:08
万人が「落としどころ」を考えなきゃいけない運動なんて、それこそ「船頭多くして船山に登る」というアレであって、そういうものを「夢想する」のに時間を費やしたり、あまつさえ潰し合うのはどうかな、と。

17:57
私は人道者としての高倉健よりも、鶴田浩二にまとわりつく弟キャラの高倉健が好きだった。しかし鎌倉の腹切りやぐらに行った時、その思いは打ち破られた。

18:01
腹切りやぐらに延々と積み重なる高倉健名義の卒塔婆高倉健が自身の先祖である北条篤時の供養のため、捧げた、誰にも気づかれぬ幾重にもわたる卒塔婆を見ると、弟キャラでも、篤実さでもない、もっとウェットにして確実な高倉健の「実感」が迫ってきた。ただ、その中身はさらにわからなくなった。

18:03
今の私の中の高倉健は、分かりやすいキャラクターにはできない。「恨」もなく、「潤」でもない。把握できないのに、実感だけがともなう不思議な存在。

18:04
ただ、ひとつわかるのは、あの卒塔婆高倉健が死ぬまで積まれ続けるのだろうな、ということ。

18:47
あまりに人間らしく暮らそうとすると、けものと見分けがつかなくなるよね。

18:59
魏徴じゃないけど人生は「意気に感ず」るしかないんだよ。その意気が真実か、正か悪かっていうのは、結局あとの問題なんだよ。


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