2012-07-25

22:53
前回のりつりょう!更新して思ったけど、菅家廊下って、菅原氏を中心した文書生の門閥化で、あれこそ式の憂いた官職の家職化だよな。半律令的な存在である、が致し方ないよな。
明法道の讃岐永直の門流や、彼に対する国家の自宅での講義の許可も、この枠内で考えれば反律令的。

22:57
さらに問題をややこしくするのは反律令的なこれらの学問所の門閥化によって、律令そのものの研究や理解が、前代より進歩しているところだよな。
でも反律令的ではあり続けるので、律令国家の崩壊期なんて、人は言う。
けど前代の八世紀は律令国家の最盛期じゃなくて、部民制の衰退期だろうよ。

22:59
もう、律令の導入度合い云々で、草創、最盛、崩壊って時期区分するより、部民制がどのように律令に揺り動かされ、別の体型へとリビルトされたか、という変遷で時期区分したほうがいいかもしれん。

23:00
厳密な意味での「律令国家」なんて、なかった。

23:18
吉田松陰の行動を間近で見たら引くし、最澄の言説を間近で聞いたら、そのドリームぶりに南都に同情するだろう。しかし、彼らの偉大さは変わらない。
一定以上に知り、身近にいればまず賛同できないと分かっている者の「偉大」に思いを馳せなければ、歴史を相対化の道具として使えるとは、言えない。

23:54
「絵画とは、なんとむなしいものだろう。原物には感心しないのに、それに似ているといって感心されるとは」
パンセ 134

これと同じことは一次創作にも言える。皆、一次創作を直接褒めずに、他の創作で「作品の定番のセリフ」や、「似た造形や性格のキャラ」が出たときだけ、パクリと反応する。


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