思い出のマーニーを見て1 〜約束を「作れない」子供たちに〜

ジブリ映画「思い出のマーニー」、見てきました。とても、とてもよかった。

主人公・杏奈のキャラクター造型が、そして彼女のために与えられシナリオが、とても精緻で、大満足でした。
でも、ある部分を見逃してしまうと、この作品の真に汲み取って欲しいメッセージが伝わらずに、「ワガママな女の子が改心する話」とだけ受け取られてしまうかもしれない。

そこで、これだけは伝えたいなと思い、一年ぶりにブログの筆を執った次第。
私が一番伝えたいこと、それは…

…この世界には、約束を「作れない」子供がいる、ということ。


※ここからはネタバレ上等になります。また、語りも見た方前提のものが多いので、未見の方は、そっとブラウザをお閉じください…。


1.約束を「守れない」、ではなく「作れない」娘・杏奈

まず、最初に質問。この作品の主人公、杏奈を見て、皆さんはどう思いました?

無表情、周囲に壁を作る、精神が苦しくなると喘息の発作がでる、そのくせ、人を貶す言葉は出てくるし、愛のある養母に壁を作る、…なんだか、自分勝手な子。

そんな感想が出てくるかもしれません。事実、彼女は世界を「円の内側と外側」に分けて、自分と他者を線引きしています。

…でも、私は思いました。
彼女は内向的で、時に攻撃的で、傍若無人で、行動も意味不明、…でも、実は「ひとつの線」で、それらはつながる。

そう、彼女・杏奈は「約束が作れない子」なのではないか、と。

それが端的に見られるのが、彼女がおばに連れられて行くシーン。おばと相手の女性の会話の中で、「七夕祭りに娘と一緒にいったら」という意見が出た途端、彼女はそれを嫌がるそぶりを見せます。
さらに義母から書くように言われた手紙も、具体的な描写を少なめに、相手がそこから言葉を発展させない、足がかりにならなそうな言葉を綴って、送ります。

これらのシーンを見て浮かんだのが「約束を作れない子」なのではないか、ということでした。

このタイプの子は、約束を「守れない」子とは違います。
約束が守れない子は、人と約束をすること自体は躊躇しません。
その場しのぎのため、もしくはその時は本気で約束をします。しかし、その約束を自分の都合や、勝手な書き換えによって破ってしまいます。さらに、破ったことを誤魔化したり、自己正当化することを、繰り返す。
一方、約束が「作れない」子は、そもそも約束をしようとしません。何故か?「それが破られる予感があることにすら、耐えられないから」、「約束のもたらす、破綻のイメージが怖いから」なのです。
普通、約束をした段階ではそれが守られるか、破られるかは未定です。しかし、約束が作れない子は、約束を交わす段階で、破られるシーンを幻視してしまいます。そしてそのイメージに縛られ、約束そのものを忌避してしまう。

杏奈はそういう子として冒頭から描かれています。この映画のオープニング、彼女は美術の屋外写生で黙々と絵を描く。それを「見せてみろ」と言う教師。彼女はおずおずとスケッチブックを渡そうとするも、突然滑り台で子供が泣き出したので、そちらに気を取られる教師。そして、彼女はその中断にすら、拒絶を感じ、喘息の発作が出る。
…このシーンです。ここで教師は杏奈を無視したわけじゃない。ただ、子供が泣いた方に気を取られただけです。しかし彼女はそれすら「相手からの拒絶」として受け取ってしまう。そこからもう一度「絵を見てください」とは言えない。彼女の門は、そこで閉じる。

そう、彼女が約束を作れないのは、相手のそぶりに拒絶を感じてしまうから。たとえ、いや、たいていは、それは何気ない素振り。でも、彼女はそこに拒絶を感じる。少しの間、意思の中断、悪気のないイイエのサイン。それら全てに、「拒絶の予感」を見てしまうのです。
「そんな些細なことで」と思うかもしれません。でも、私には彼女の思いがよくわかります。私もまた、そうだったから、無意味に約束を恐れる人間だったから。
だから、彼女が義母を避ける理由もよくわかる。義母は、彼女を誰よりも愛しているが故に、彼女にかまってしまいます。愛を押し付けているわけではないけど、かまって、思わず泣いてしまう。
その「かまう」ことにも、杏奈は「約束」を感じる。だから、義母が構えば構うほど、そこに約束を感じて、裏切られる予兆を感じて、それが抑圧になって、彼女は引いてしまう。
義母では杏奈は救えなかった。それは愛がないからでも、押し付けているからでもなく、約束を作れない子、作りたくない杏奈の心性を知らなかったから。そして杏奈がなによりもそのことを、知られたくなかったから。

だから杏奈は理由を作ります。
義母は自分の養育費用を自治体から受け取っている、自分はお金に換算される存在なんだ、と。
物語中盤で出てくる「杏奈の思い」を言葉通りに受け取っては、彼女が「思春期独特の潔癖がこじれた子」としか、見えないかもしれません。事実はもう少し複雑だと私は思います。
杏奈は、理由を作りたがっているのです。「約束が作れないこと」をさらにこじらせて、「作られた約束は裏切られるべき」という、妄念へとシフトしかけていたのです。
お金を受け取っているのが許せないのではなく、本当はお金を受け取っていることを理由に「やっぱり義母もそういう人間なんだ」と思いたいのです。約束が作れない彼女、つまり、約束したら裏切られるから。ちょっとの拒絶も心が勝手に裏切りに感じてしまうから。
だから義母の約束も、長く長く自分に行われた約束も嘘に違いない。あのお金がその証拠だ、と。
…幸せな義母との関係が、お金の発見で破られたのではない。約束がいつまでも破られないことへの居心地の悪さを、逆にお金で説明しようとしているのです。
杏奈は約束が作れない子、すべての約束に破られる未来を見てしまう子、ついにはそれを恐れるあまり、自分を救おうとしてくれる人も「いつかきっと約束は破られる」という予兆と偏見で見てしまう子。

…この子を、「こじらせている、救われない子」というのは簡単です。でも、私はこの子の、杏奈の気持ちが分かる、痛いほどに。そう、私もまたそういう人間だったから、ずっと約束が怖かったから。
だから、彼女が他人には見えない。彼女が救われない限り、私だって救われない。

ーーでも、彼女は救われた。

奇跡でも、偶然でも、ご都合主義でもなく、一歩一歩、丁寧に丁寧に、彼女を、彼女と同じ境遇の子を救うすべを、過程を、この作品は描いてくれた。

だから、私はこの作品が、大好きになりました。

次回は「約束を作れない」杏奈をこの作品はどうやって救っていったかについて述べていきたいと思います。