思い出のマーニーを見て2 〜約束を作るための道〜

さて、1の続きです。

昨日の記事では、杏奈が「約束を作れない子」であることを、述べました。今日は、彼女の本編における道のりと、「約束を作れる子」になるまでをお話しします。

2.精緻なシナリオと、「約束を作る」までの道

本作は、とても精緻なシナリオで作られていると、私は思います。
こう言うと、「えー、原作があるんだから。シナリオが精緻というより、原作が精緻なんでしょう?」という疑問を抱かれる方もいるかもしれません。
半分はその通り、素晴らしい原作があってこその映画版「思い出のマーニー」です。
しかし、もう半分。ヒロイン杏奈という「約束を作れない子」をどう救うか?人と分かり合えない子を、殻を作る子に対して、どのような方法をとるか?という「救いのアプローチ」については…
…映画の方が、原作よりも、上です。
そしてこの点、杏奈を救うという一点にこそ、シナリオの命題は絞られていて、精緻にその過程が、織り成されているのです。

さて、杏奈が「約束を作れる子」になっていく過程、その話を追うにあたって、

ラクティス:杏奈自身による実践
アシスト:周囲による保護、手助け

この二つの用語を使いますので、記憶におとどめ置きください。

1.第一のアシスト・大岩夫妻
約束を作れない少女・杏奈は、医師の勧めもあって住まいの札幌から、道内の田舎へ療養に向かいます。そこで彼女のステイ先になるのが、養母の親類の大岩夫妻なのですが、彼らの存在こそが杏奈にとっての第一のアシストなのです。
この二人は物事を気にしない性格で、車も汚れっぱなし、部屋も行動も好き勝手です。でも、彼、彼女たちは杏奈や養母にはない、あるものをもっていました。
それは相手を放任できる「心の容量」です。
例えば杏奈が地元の子ノブ子と喧嘩をし、親が怒鳴り込んで来た時も、夫妻は杏奈を問いただしたりしませんでした。これだけなら主人公を守る、「よくいる身内」ですが、その後も杏奈が街中で眠っていたり、夜中に抜け出したり、いろいろな不審な行動をしますが、彼らは問いたださない。いつも上機嫌。
決して鈍感なわけではありません。その証拠に、物語終盤、養母が杏奈を迎えに来た時「今度は電話をかけるのを我慢できたね」と、労いの言葉をかけているのです。
そう、大岩夫妻は、上機嫌で、何も考えていないように見えながら、巧みに杏奈が「干渉を感じない距離」を保っているのです。
これ、口で言うのは簡単です。しかし、連日不審な行動を取る杏奈を何も言わず、何も干渉せず、ただ上機嫌であり続けるのは相当難しい。
でも夫婦は杏奈のために、「約束を作れない子」のために、快適な家を、善意でも、悪意でも、無意識においても「約束を強要されない空間」を、維持し続けていたのです。この第1のアシストがあってこそ、杏奈は次のフェイズへ向かうことができるのです。

2.第二のアシスト、第一のプラクティス・十一との出会い

大岩夫妻のおかげで、新しい環境に定着できた杏奈。しかし彼女はまだ自分から他者にアプローチしようなんて考えもしない。そこに第二のアシストである十一(といち)が現れます。
彼は無口な漁師で、杏奈を船に乗せてくれます。普段他人との約束を作れない、干渉を拒絶する杏奈も十一にはその拒否反応を示しません。何故なら、彼はこちらに語りかけてこない。無言でいるから。
会釈でなんとなく通じ、無言でなんとなくその場に居られる。お互いに会話なしで過ごせることで、杏奈の約束を恐る心も反応せず、共にいることができる。
この「言語を介さない交流」によって、杏奈の人間全般に対する不審はすこし、和らぎます。
そう、杏奈はここで、無言でありながら相手にアプローチして、船に乗せてもらっている。十一との交流は杏奈へのアシストであり、かつ、杏奈自身のプラクティスでもあるのです。

3.七夕の事件

順調だった杏奈の新しい生活にも、ヒビが入ります、そう、「約束を作られてしまった」せいで…。
ノブ子とその友達たちと七夕祭に行くことになる杏奈。彼らから繰り出される会話のパス、そのいずれもが「不安の種」であり、危険な「約束」の数々なのです。
そして、うかつにも短冊に願いを書いてしまったことで、杏奈はノブ子に会話を持ちかけられてしまいます。そこで「ふとっちょブタ」と罵って、逃げ出す。約束への恐怖から、恐れ予兆から、自らがその恐れを振りまく存在になってしまう。
「あんたは、見かけ通りの顔をしている」ノブ子のその言葉は正しい。
杏奈は、養母を避けたように、ノブ子を突き飛ばしたように「約束」の果てにある「裏切り」を恐れるあまりに、自分から先に相手を「裏切り」続けていく。
せっかく好転しかけていた環境が、また暗いものへ、元の約束を作れない杏奈、いやそれよりももっと恐ろしいものになろうとする時に―

――マーニーが、現れるのです。

4.第三のアシスト、第二のプラクティス・マーニーとの出会い

屋敷に向かって船を漕ぎ出す杏奈の前に、マーニーが現れます。彼女は矢継ぎ早に杏奈と心を通わせてしまいます。
他者とのコミュニケーションを嫌がっていた杏奈が、マーニーに心を溶かされ、彼女と三つの質問を交わすまでになります。
そう、あれほど約束を恐れていた杏奈が、約束にもっとも近い「質問」まで踏み込めてしまう。
ここでミソなのが、質問が「三つ」と、数字で示されたことです。数字という限界を切られることで、三回の質問という結末が示されていることで、杏奈は落ち着いて言葉を交わすことができる。有限を示されることで、無限から不安を持ってくる必要がないから。
こうして、杏奈はまた一つ階段を上ることができました。会話を交わして、「応酬」する。
その相手がたとえ、自分の約束の根源を司る存在・マーニーだったとしても、杏奈は、自分の手で、知らないうちに一歩先にいくことができました。

5.第三のプラクティス・喪失の予感
マーニーと知り合ううちに、杏奈は彼女が現実の存在ではないかもという思いを強くしていきます。
マーニーはそんな杏奈に言い続けます。「私を探して」と。
これは三つの質問とは違う。明日も、明後日も、場合によってはずっと続くかもしれない「約束」。
しかし、杏奈はマーニーのことが大好きになっていたので、約束に躊躇せず、踏み込みます。そう、いつのまにか、マーニーとの日々で、杏奈は「約束が作れる人間」になっていたのです。
でも、これで完成ではありません。彼女はあくまでかりそめの存在、杏奈がほんとうに約束を作れる人間になるためには、今を生きる人たちと、正面から向き合う必要があるのです。

6.第四のアシスト、第四のプラクティス・彩香

約束を残してマーニーは消えてしまい。湿っ地屋敷にも新しい住人がやってきます。それが杏奈よりも年下の少女・彩香です。
彼女は当初、杏奈をマーニーと勘違いしています。しかしその誤解が解けた後は二人でマーニーの謎に迫ろうとするのです。
ここで驚くべきことに杏奈は積極的に彩香との関係を築こうとします。それもそのはず、彼女はマーニーに繋がる手がかりを持っているから。そう、マーニーという存在を媒介にして、杏奈はまたひとつ約束を結び、先に踏み出すことができたのです。そう、今度は現実の人間と、自分から。
自分より年下の女の子、しかも相手はとても良い子で、会話も積極的に振ってくれる。そういう条件のもとでですが、約束を忌避していた杏奈は、ここまで来れました。
実は、原作のストーリーはここからすこし違います。マーニーが完全に退場した後で、彩香(と同じ役割をする少女)が現れるのです。映画の脚本では、あえてマーニーと少女を並列に存在させることで、さらに深く「約束ができない」杏奈の問題と、その解決を描いていきます。
そしてここで、アシストの段階は終わり。杏奈は今までいろいろな人から、本人は知らずにもらってきたアシストを使い、現実と、人々との「約束」のプラクティスを積み重ねていくのです。
ーーそう、ここからが杏奈の、折り返し。

7.第五のプラクティス・相手との約束を守りつづける

杏奈はマーニーを探し続けます。約束を守るために。そう、前の三つだけの質問とは違い、杏奈はマーニーを探し続ける。そういう「長い約束」もできるようになっているのです。
そして、再び現れるマーニー。彼女たちは森の中でお互いの苦しかったこと、嫌なことを打ち明けあいます。約束だけじゃない。今まで人と約束ができなかった「弱さ」の根源まで打ち明けられるようになった。
そう、それまでマーニーに先導される側だった杏奈も、もうすっかりマーニーと同じ立場になっています。そこで二人は、思わず言います。
「私たち、入れ替わったみたい」
入れ替わったようで、実はちがう。
彼女たちは入れ替わったのではなく、「統合されつつ」あるのです。

8.第六のプラクティス・相手の弱いところを触る、相手との約束を断る

そして、すっかり同じ立場になった杏奈はマーニーに言います。あなたが恐れているサイロに行ってみよう、と。
自分のトラウマどころか、身の回りに関することにすら触れて欲しくなかった杏奈が、マーニーのそういうところに触れる。それも、相手のことを思って、あえて、背中を押す。
そして二人がサイロに向かって歩いていく中、彩香はマーニーの手がかりをつかんだと、杏奈を誘います。でも、彼女はそれを断る。
そう、約束をしないのは拒絶がいやだから、拒絶されないため武装していた彼女が、相手に断りの言葉を、何気なくかけることに成功している。本人はマーニーを追うことに夢中で、そのことに気づいていませんでしたが。
…そこまでして、追い求めたマーニーに、杏奈は裏切られてしまいます。杏奈は一人、サイロに置き去りにされてしまったのです。そして、これが、最期のプラクティス。

9.第七のプラクティス・他者の約束破りを赦す

杏奈は、怒っていました。
あれだけ信じて、背中を押して、助けにすらいったマーニーに裏切られた、許せない。相手がなんと言おうとも。
…でも、もう無理です。杏奈がどんなに殻を作った気になろうが、自分はやはり一人なのだと思おうが、彼女はすでに、階段を上ってしまった。
大切な人を信じないでは、いられなくなってしまった。

だから、マーニーに「許してあげるって、言って」と問われた時、ためらいなく言う。
「もちろん許してあげる!大好きよマーニー」と。
そう、もう杏奈はマーニーを全身で受け入れてしまった。約束を作れない、前の自分には戻れない。好きな相手のためなら、自分が愛そうと思った相手のためなら、何度でも約束をする。それがたとえ裏切られても、何度も、何度でも。
そうやって、杏奈とマーニーは別れていくのです。別れることが、できたのです。
約束をすること、約束を打ち消すこと、約束を打ち消されること、それを許すこと。その繰り返しによって、人は強くなれるし、人を信じられるようになる。
原作は杏奈、マーニーのコミュニケーションの後に、周囲とのコミュニケーションの広がりを書きましたが、映画はこれらの進行をパラレルに描くことで、より杏奈が成長し、自分を、他人を許していく段階を鮮明にしているのです。

エピローグ・湿っ地屋敷という箱庭

マーニーとの出会いと別れによって、杏奈から「約束を作る」ことへの恐れが消えました。
だから彼女は約束をします。養母がお金を受け取ったことも、気にしてないと言い、彩香にもまた会おうと言い、そして、マーニーの真実を知ります。
そう、すべては自分の記憶が、祖母との思い出が作ったものでした。そして、それは生まれた時からの「約束」だったのです。
彼女は祖母との思い出という「約束」に守られ、愛されていた。そう、湿っ地屋敷は箱庭。彼女が自分との、自分の中のマーニーと対話し、約束をして、承認しあい、自分を許すための、箱庭だったのです。
だから、マーニーを許して、愛した杏奈は、無条件に自分を許し、愛することができる。約束ができる。
…だから、彼女は最期に「外側」に行きます。
ふとっちょブタと言って逃げた、ノブ子へと頭を下げます。そしてノブ子から「来年の約束」を、受けとるのです。
…彼女と仲良くなれるかは分からない、…ここで来年もうまく過ごせるかはわからない、
でも、杏奈は長い長い殻を抜けて、ここに到達した。ここまで来れた。だから、大丈夫。これからも、きっと。


すべての「約束が作れない」多くの子供たちに、私に、希望を与えてくれた。

…そういう希望の物語に、ただ、ただ、感謝を。