空腹時の人間はロクナコトヲ考えナイ

今日はまだ一食も食べていません。腹減った。
食事は人間の三大欲求(食欲、性欲、睡眠欲)のひとつです。この三大原理は自己の保存(食欲、睡眠欲)と、自己の遺伝子の存続(性欲)といった目的に沿って設定されているわけで、この欲求に従わずに生きるのは不可能ということです。
つまり我々はこの欲求に縛られて始めて生存を許されるわけで、欲求を満たす奴隷ともいうことができるでしょう。そうでなければあらかじめ自分の勝手な三大欲求を指定できるはずです。
この欲求は肉体が命令するのか、それとも脳が命令するのか?脳が欲望を電波として送る為、脳と考えがちですが、それを含め維持のために欲求を必要としているのは肉体です。そうなれば脳は肉体を操っているのではなく、単なる肉体の代弁者ともいえましょう。
人間の場合、この代弁者が過剰評価され、さながら独裁者*1のように扱われます。しかし独裁制という政治形態は、実は最も簡単に首を挿げ替えられるものです。まあ、人間の場合は首を挿げ替えたら、肉体も終わりなのですが・・・。
逆説的に考えると、代弁者である脳が過剰評価されるのは肉体の欲求なのではないでしょうか?脳の働きを要求される社会は逆に肉体活動はなりを潜めます。そうすると脳は苦労する一方、肉体は怠惰でも生活できるわけです。つまり、先進国の現代社会は肉体におだてられた脳がしっちゃかめっちゃかやってる社会と言い換えることができるのではありませんか!!
皆さん、これ以上唯心論に乗って、肉体を甘やかしてはいけません。さあ、私と一緒にレッツ林修!!*2(何の勧誘やねん)

*1:僭主ともいう。民衆が楽をしたいときに現れて、逆に窮地に追い込んでくれる有難い人

*2:山にこもって修行すること。自然智を得るために行う