時間よとまれ そなたは美しい

一週間とは短いものでもう土曜日です。
私の無駄話に付き合って下さっている皆様にも、私にも、時間は平等に流れていきます。われわれ人間は“時間”という概念を自身の体に刻まれた皺や、身体機能の低下、ないしは発達によって感じていると思われます。つまりは「年をとる」ということです。人間が自分を観察したとき、年を経るごとに生じる体の劣化によって、初めて円還する時間でなく、通過していく「時」というものを感じたのだと私は考えます。ではロボットに関してはどうでしょう。いや、細かく言えば生まれた当時から人間と同程度の知能を持っている生物で、劣化しても体を交換できる生き物の場合、時間はどのような意味を持ってくるのでしょうか?
彼らは最初からその状態としてあった場合。人間のような感じ方で連続する時間を捉えることはないのではないでしょうか。人間と同じく日の出、日の入を基礎とした単位は持ち続けるでしょうが、その外側に「痛んだ体の交換」という時間概念が生じ、体のパーツ交換の周期にあわせて日々を刻んでいくでしょう。それは我々の感じる過去から未来への片道定期的な時間の把握ではなく、円環的であり、また無限に回帰する時間なのではないでしょうか?ありていに言えばニーチェ*1永劫回帰のスパンを短くしたような世界。昨日あったことはいつか未来に同じ形で存在すると信じられ、会えなくなった人とも体を交換すればまた会える。
つくづく我々の概念は肉体から生じるものであるなぁと思います。だから世界は我々に厳しいのでしょう。肉体を通してしか把握できない“世界”。そんな隙間からしか覗けないものと我々が友達関係であるとはどうしても考えられないから。
(ちなみにガンダムで一番好きな話は『時間よ、とまれ』*2だったりする)

*1:真摯にネガティブした哲学者。おかげで狂った

*2:ジオン軍のおっちゃんたちの生活感がなんともいい話。劇場版ではもちろんカット