前回で概念を述べた内悪魔と外悪魔ですが、今回はこれらの信仰母体、ないしはそう考えられるものにスポットを当ててみたいと思います。
まず内悪魔ですが、キリスト教ではこれをサタニストと呼びます。この信仰は最初から悪の道に入るということを自覚して行う、キリスト教社会内における行為であって、大罪となります。しかし、キリスト教への内部からのアンチテーゼを提唱するものやカルト集団でもない限り、実体がなく、最初から悪としてカテゴライズされ生まれたものに対して信仰を抱くものなどあまりいないでしょう。つまり、内悪魔を信仰する集団とは、その集団を追い落とそうとしたキリスト教内部の内ゲバによってかけられる嫌疑であることが大半で、現にカトリックプロテスタントの抗争においてもカトリックローマ教皇はしばしばプロテスタントのビラなどで悪魔の図像で描かれ、批判されています。魔女裁判などもこの種の内ゲバの最も大きいものといえます。
一方の外悪魔への信仰ですが、これはもともとキリスト教以外の神に対する信仰をゆがめて解釈したものですので、当然普通の宗教と変わらない信仰体系があります。というかぶっちゃけキリスト教以外の宗教(仏教やイスラム教)のことです。これらを悪魔としてカテゴライズするキリスト教側にその信仰の価値判断はゆだねられており、外部の目から見れば難癖をつけられるようなものです。
両者ともにキリスト教の自身の内部に向けての批判か、外部に向けての批判かに大別できます。つまり悪魔化することは批判するということなのです。善悪二元論の顕著な顕れと言えるでしょう。