祭壇にて裁断

はっぴばすでーつーみー、はっぴばすでーつーみー、はっぴばすでーであまんとらぷりー。はっぴばすでーつーみー
ということでひとつ年を越え、ひとつ坂を越えました。まあそういったことです。しかし「はっぴばすでーつーみー」の「つーみー」はto meなのにと聞こえるところが、私の業の深さなのです。罪とは何でしょう。それは罰を与えたいものに送るもの。そうです罰が先なのです。「あいつを罰してー。あいつを殺してやりてー」という気持ちが先にありて、人は他人に罪を言い渡し、罰をやり易い環境を整えます。これは自分自身の場合もそうで、罪の意識におびえるのは罰がほしいからなのです。これに関しては「鶏が先か、卵が先か」論争ではなく、純粋に罰が先に来たと思います。それゆえ人は救いがないのではないでしょうか。だから後付である罪を体系化した法律や宗教が作られ、人をカテゴライズ、ないしはシビライズないしはオルガナイズしていくのです。そう考えると中国の法制度である律令において、律(罰)が令(法令)より先に来ている訳がよくわかります。人は罪を感じるよりもまず先に罰したい生き物なのです。罰はいくらでも形にして与えられるけど、罪は形無き者なので、周りを固めることによって浮かび上がらせるしかないのです。さながら透明人間に包帯を巻いてその存在を確認するように。
とまれかまれ、おめでとう俺。ドレイク*1、見事な暴れっぷりで死た。そして斬鬼*2さん。全裸で死ぬなんて浮かばれないよね・・・。今日はスーパーヒーロータイムの話をするつもりだったのに・・・。

*1:cv矢尾一樹マジレンジャーに出てくるインフェルシアの神々の一人。暴れん坊

*2:仮面ライダー響鬼のキャラクター。シブイおじさん