大師を問題視

杖を購入した後は高野山の表玄関・大門へ。
表玄関といっても南海で来る人間は女人堂周りで訪れるので、ぜんぜん表ではないのです。しかしせっかく高野に来た身、裏を極めて表を見ぬとは片腹痛しです。ちなみに裏高野室生寺風の山林寺院で本尊は薬師如来です。*1教主である薬師大医王さまを中心にその子息である日光と月光の兄妹が内部を取り仕切っています。・・・もちろん漫画の中の話です。

孔雀王 1 (集英社文庫(コミック版))

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で、バスに乗って大門に来てみると仁王様が。この仁王様、江戸時代の仏師・北川運長によって作られたものです。宇多源氏君が研究で取り上げていたので、彼と同じ結社に所属している私と真言僧くんはその名前を知っていたのですが、その紹介文言を見て爆笑「難波の法橋*2・北川運長」な、難波って、難波のジョー・辰吉丈一郎かっ!?
で、その後に門の裏側にある町石を見ました。この石はふもとから高野山までの道のりを示した石塔で、鎌倉中期に作られたものです。幕府の要人によって寄進されているものが多いのですが、これは・・・
マントラプリ「平(たいら)、だねぇ真言僧くん」
真言僧「ですねぇ。平ってことは北条氏ですかねぇ」
マントラプリ「だろうねぇ。一番下の字は“村”だね」
真言僧「村の上は・・・“政”?」
マントラプリ「平・・・政村。まさか・・・」
二人「伊東四朗だぁ!!!」
ええ、大河ドラマ北条時宗」で北条一族のやかまし屋として活躍した七代目執権・北条政村(演・伊東四朗)の寄進したものでございます。こんなところで伊東家の嘱託(しょくたく)*3とは思いもよらず。まさに表を見ざれば裏見えずとはこのことでございます。
表門を後にした我々は高野の中心地・壇上伽藍へと参りました。伽藍内では法印転衣式だけあって、あちこちのお堂から理趣経(りしゅきょう)の読経が聞こえてきます。最澄空海の仲違いの原因となっただけあって真言宗では重視されているお経なのです。時差式に聞こえてくるお経にまどろみながら、我々は帰途に就くことにしました。帰り道に徳川家康・秀忠の御廟に参り、奥の院にあった結城秀康の苔むした石廟と比較しながら「同じ兄弟でも養子に行ったの(結城秀康)と将軍になったの(徳川秀忠)では偉い差やなぁ」と金ぴかの秀忠廟に感じるものがありました。(どっちも重文なんだけどネ)
問題は我々が女人堂に着いたときに起こりました。中の仏に手を合わせつつバスを待っていたとき、向こうからけたたましい音とともに上半身裸の恰幅のいいオヤジが現れたのです。「こ、このオッサン。朝もいなかったか!!」「え、ええ、同一人物です」そう、朝からわずか数百メートル移動しただけの場所を空気を噴射する機械を使ってオヤジは掃除しているのです。かえってごみを散らかしてるようにしか見えないし、作動音がクソ五月蝿い。後から来たカップルもオヤジの風体と噴霧音にドン引きしていました。
あの親父の正体はいまだにわかりません。ただ、大師の化身でないことは確かでしょう。

*1:ここは表と一緒

*2:ほっきょう。僧位(そうい)というお坊さんの位。僧綱が設定した僧正、僧都、律師とは別に設けられた。摂関期から仏師にも授けれられることになる

*3:誤字ではない