歯がある

新陳代謝は我々の本能。問答無用いやむしろただ淡々とすぎさる。軆もそれにつられてたらたらと流れていきます。「逝く皮の流れは絶えずして、もとの流れに非ず」生まれた時にあった肉も骨ももはやない。いまあるこれは自分であって、自分ではない。蛹が蝶になる神秘など日常茶飯、チャハル河畔。かれらの跡を留めておくには、彼らをころすしかありません。ころしてほるまりんにするしかないのです。それは少々不穏当、ごもっとも。吾輩も常識的日本人。それならば歯を遺しましょう。体の中に取り込まれたしろいしろいおひめさま・骨。彼女がはづかしげなく外にでるのは、ただ歯と爪のみ。手折れた歯、大人になることを許されなかった。いや、そんなこと夢見すらしなかった歯、乳歯は全て体を去り、手元に遺ります。これを手元に置き、代わらぬ我が身の誓いにしましょう。保管にはフィルムケェスなんかいいね、いいですね。いっぱいに詰めてかさかさかさかさ鳴らしてみては如何?亡くした軆を悼むために、無くした自分を悼むために。そうわれわれはまいにちしんでいる。