軋んだ森
自宅に真言僧くんと金剛神くん、tukinohaくんを招いて見ました。
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 2004/02/27
- メディア: DVD
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今回は全26話(一話欠番)中、六話を看たのですが、その中で一番琴線に響いたのが上原正三脚本、長野卓*6監督による「かまいたち」です。これは「理由なき」作品とでもいうべきもので、なんとも名状しがたい気分にさせられます。工場地帯で毎夜起きる女性のバラバラ殺人。その猟奇的な手口から犯人は顔見知りと断定する警察。しかし岸田森演じる青年科学者・牧史郎は納得しません。そして一人の男をマークします。牧の推理に「理由」はありません。直感といえば格好はいいのですが、科学思考、合理主義が売り物の彼です。そのようなものを頼りに捜査を展開する自分自身にすら彼は戸惑いを覚え、否定しようとします。しかし、その男の顔を見たときの「野次馬の目ではない、あれは笑っている目だ」という感覚が彼を縛りつけるのです。果たして彼がにらんだとおり、犯人はその男でした。警察の執拗な調べにもオドオドした目で動機を明かそうとしない男。「臆病で、イタチのような目をしたこの男が、何故・・・」牧は男の目を見つめながら自問します。しかしそれは牧が彼を突き止めたこととおなじく「理由」がないのです。
人が生きるの理由などないように、死ぬのにも、また殺すのにも理由は要らない。人間という薄皮一枚剥いだ奥底に広がる虚空。その虚空を突き止めるのもまた虚空、というところに我々の危うさがあります。上原正三の説くアイデンティティというものの希薄さ、そして思わぬところでまったく違う他者とすら結びついてしまえる危うさはウルトラセブンの「円盤が来た」や以後の作品でも問われていく命題と言えましょう。