夏だからという訳ではないが

ヤンボー、マーボー。天気予報!
僕の名前はヤンボー。僕の名前はマーボー。二人合わせてヤンマーだ。首が二つに手と足四つ、上半身のベースはヤンボー、下半身のベースはマーボーでヤンマーだー!

科学の進歩は凄まじいですネ!もうすぐこんな永井豪の天気予報が見られそうですよ。しかし科学をもて遊ぶ人間には科学による罰が待っています。一度人をヒトデナシにしてしまった人間は、自分もヒトデナシになってしまうのです。従来言われる、人間の皮を被った悪魔。厳密にはちとちがいます。言葉遊びのようですが、人間は社会に適合することで初めて人間という皮を被れます。だから皮を被れない人間、ないしは皮を被ることなく育てしまった人間がヒトデナシ。 そして日常は皮を被るフリができる人間を「人間の皮を被った魔物」と言うのです。この皮は人によって緩かったり、強固だったりします。少しのきっかけでその皮は緩急し、人間を奈落へと叩っ落とします。 ましてやヤンボーとマーボーを切り刻み、シャム双子にするなどは尋常のさたではありません。皮はばりばりに裂け、着ようとしても二度と着れないし、周りもそれを許しません。そう、皮は自分で着るものでなく、人に着せてもらうものなのです。何故ヒトヲコロシテハイケナイカ?この質問には「二度と皮を着れない、裸の王様以上の人体模型の王様になるから」と答えます。
でも、戦争にこの理論は通じませんよ。ヒトゴロシは皮を剥がされなければヒトゴロシであると真に認識できません。世間が認めることではじめて戦争は行われるので、ここでの殺人行為は皮剥ぎの対象にはならぬのです。個人主義と自殺禁止という素晴らしい要素を持つ西洋倫理はなお個人の皮を剥がし得ますが、それがない日本人は戦争のヒトゴロシの皮を剥げるか?
日本が不戦を唱えねばならない理由は、あんがいそんなユルユルなとこにあるのかもしれませんね。夏がくるたびにそんなことを思ったり思わなかったり。明日の天気はハレかケか。