アダプター

先輩の結婚披露宴に行きました。私のマンションの前の家が取り壊されていました。私の周りのものが様々に姿を変えていきます。いや、人から見ればあるいは私の姿も変わって「ある」のかもしれません。
変わる世界、変わる人、変わる自分。流行止まることを知らぬ人間社会、そこに竿刺す「己」とはなんなのでしょう。その己すら、変わっていくというのに。何故「変わらない」と思いたいのでしょう?
思うに変わらない世界を思う心(うわ、わかりずらい台詞まわし!)は変わる世界への引き継ぎの役割を持つのではないでしょうか。要はバトンタッチですな。こんなカンジ。
変わる世界→変わらぬ心→変わる心→変わらぬ世界→(最初に戻る)
世界が変わるときは心が変わらぬと思うことで己を維持し、心が変わるときは世界(自分を囲む諸要素)が変わらずあることで己を維持する。この相互補完作用によって維持されるのが己で、変わることを常に受け入れ続ける装置ではないかと。
てことは変わるという事は無意識下では折り込み済みということになる。我々は思ったよりオトナなのかもしれませんね。そして己は心にも体にも属さぬ、生きるための自動装置、・・・ウーン、シビアだなぁ。