海は黄色黄色真黄色

パルプンテを唱えたら、北の海からたくさんの数の子がやって来ました。皆、親の鰊(ニシン)からはぐれた早産の子供達です。彼らは産まれちまった哀しみにわんわんと暮れているのですが、こちらは個体差がわからないので、どの粒にどう同情したらいいのかわからないのです。とち狂って「ニシンがシンダ」なんて洒落を飛ばしたら、それこそ億万の粒どもからタコナグリにあいそうなので、いつもの含み笑いの顔で、グッと我慢。
北前船の時代にも彼らはこれほど嘆いたことはなかろう。彼らは親の胎内にいて、産まれたらすぐに死ねばよかったんだから。そして個体差なく食べられればよかったんだ。最初から死んでるし、目的もはっきりしている。こうして区別もつかぬ群衆として生まれ、生きていかねばならないところに彼らの不幸の本質があると思うのだ。だがこれだけの人数がパーティを組み、億万分の一匹ずつがメガンテを唱えつ前進すれば、これにまさる軍隊はあるまい。命の価値は等しいならば、彼らの一粒一粒が恐るべき肉弾となる。まさに肉弾とは命を持て命と換える悪魔の貨幣。命はお金では買えないが、魂はお金で買えるんだ。だからこんなことになる。
彼らに命を、命の価値を教えねばならない。そうすれば億万の個体に魂が固着し、容易に動けなくなる。止めよ彼らを!それがどんなに徒労に終わろうと。無駄な生などない。いやそう言い、生を利用するのもだめなんだ。貨幣になってしまう。命を生に晒してはいけない。魂を自覚し、固着させるんだ。命はそれだけでは北の海のように寒々しいから。
海が卵で黄色くそまった時のためにいろいろ考えてます。