旅情というもの

旅情というものはとかく捉えがたいものです。今から九州に行くため、大阪南港にいるんですが、早く船が出航しないかと、ぞわぞわしながら待っています。で、大阪南港に着くまでの地下鉄内では、早く南港に着かないかとぞわぞわし。南港に向かう地下鉄が出る梅田行きの電車の中では、早く梅田に着かないかとぞわぞ・・・。
そうです。旅情というものはいつまでもいつまでもゾワゾワして、満ちるということがないのです。しかし目的地に着いた後はゾワゾワは蒸発し、目的に追われます。この段階に入ったら、旅情とは言えなくなります。お預けを食らうこと、そこにぞわぞわするのが旅情の本質ではないでしょうか。やや苛々を含むこの感情が無くなれば、旅行の楽しみもなくなってしまうのではないでしょうか。なんとなく恋愛に似ているのかもしれません。何ごとも、お預けを食らっているうちが一番楽しい。


ということで。前の文から五時間が経過しました。今瀬戸内海です。一時間半前に瀬戸大橋を通過し、来島海峡もまだ見えないという現状から推測するに、新居浜あたりを航行中かと。
後部デッキに出ると、ボイラーの温風が暖かいですね。暖を取るのが心地よくなるほど涼しい季節になっちまいやがりました、ちくしょう。夏戻れ。
大きな紫色の半月が、こちらを見て笑っています。なんとなくレモンの切身にもみえますね。月は笑うんですね、これが。やっぱり太陽とはちがうんですね。たしかに笑って見えるときがありますよ、アレ。