「私」のお話

めっきり寒い。いつぞやトーンまみれになりながら書いた原稿が返送されてきました。
「・・・落選」
私は内面と妄想の話が主で、自分の“現状”についてのお話はあまりしませんよね?まあチマチマと漫画を描いている者です、えへへ、はい。
小説やある意味自分自身もそうなんですが、自己の生み出すものに対する認識というのは、焦点が寄りすぎていてどこかイイカゲンになります。私にとってこれ以上短くならないと思って練った作品でも、実際はムダゴマがいっぱいあったりと、どうしても己だけの判断では粗(アラ)が出てしまうものです。
そこで他者の目というものが必要になるのではないでしょうか。自分にとって最善、最良と思うことが第一ですが。それが自分以外の人間、世間、世界にとって最良とは限らない。一人の満足ですむ事ならばそのままで良いのでしょうが、「他者に評価してほしい」「褒めてほしい」「打ってほしい」「詰ってほしい」などの、リアクション願望があるときには他者の眼を取り込み、それを踏まえて考える必要があるのです。
「自分のことを一番わかっているのは自分」です。しかし、その「自分」とは極めて小さい、他者にとって不可侵である「自分」に限ります。人とかかわる際の「自分」。人が抱くイメージの「自分」。これら二つの自分に関しては他者の方がよく知っている、いや、他者によって作られていくのです。三つの「自分」のバランスを取って生きていくのが娑婆(しゃば)世界の道筋。
①自分以外に不可侵の「自分」
②他者との関係する際の「自分」
③人のイメージする「自分」
①に偏れば我利我利亡者(がりがりもうじゃ)に、②に偏れば虚構を築き、自分をなくします。③に偏れば他者を恐れ、外に出られなくなります。まっこと難しい世の中。今回の漫画の話では①を重視しすぎて②、③の配慮が疎かになって、分かり難く、冗漫な展開になってしまったと考えます。
・・・畜生。