デカダン・スーパーロボット

これを見ました。

何というか、語らざる名作と言うべきでしょうか。本編の流れは基本一話完結で従来のロボットものをなぞっております。主人公も万能の超人というお約束のヒーロー設定。ロボットも原色ゴテゴテのありえない関節を稼動させるスーパーロボット。美女と子どもという定番脇役も取り揃えております。ただ、執事*1は例外。
そんな定番のごった煮のはずなのに、このダイターン3はなにか変なのです。主人公の波乱万丈(はらんばんじょう)が時折ボソッともらす言葉。それらが大胆(ダイタン)に上滑っているこの世界に対する諦観とも、余裕とも取れる素振り、わかりやすく言えばニヒルなのです。ダイターン3の世界がお約束の演出、お約束の行動に走れば走るたびに加速していく空しさ。必ず入るキャラクター自身によるツッコミは、もはや彼らがスーパーなヒーローやスーパーなロボットの世界には安住できなくなっていることを暗に示しています。それでありながらも作品世界は彼らをおいて過剰に上滑っていく。頼まれもしないのにデコレートされた原色のお菓子のごとき様相を見せていきます。主人公・万丈がいかにそれに抗おうとも、そのあからさまな名前が示すとおり、彼のキャラクター自体がすでにスーパーマンであり、逃れようもないほどこの世界に馴染んでしまっているのです。後世、機動戦艦ナデシコで示されるフィクションと現実の対決はダイターン3の世界ではより切迫した状況として存在するのです。
「僕は、嫌だ」
最終回における万丈のつぶやきも、このスーパー化したお約束の世界に対して発せられた問いであるのかもしれません。
ロボットアニメという古着で足掻くダイターンは、後番組である機動戦士ガンダムにおいてそういった服をばっさり脱ぎ払った新ジャンルとして脱皮することとなります。いわばスーパーロボット最末期の姿。特撮で言えば快傑ズバットのような末期のデカダンの炸裂がダイターンにはあるのです。
「リアル」ロボットが氾濫する、また「スーパー」ロボットを敢て氾濫させる現代においてこそダイターン3のジレンマが生きてくるのではないでしょうか。
・・・余談だけどダイターン3第二話で敵役の田中崇が「貴様が万丈か!!」と叫んでいるのが面白かった。万丈はあんただろ!*2

*1:ギャリソン時田。後の執事系ジャンルに多大な影響を与えた最強執事。趣味はメロドラマ。好きな女優はおそらくマレーネ・ディートリッヒ

*2:田中崇は1982年に芸名を銀河万丈に変更する