よるべ

こんなん読みました。

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

まだ読んでない読者さんのためにネタをバラスのですが、男が昆虫採集に行って自分が捕われるというお話。まあ、ここで秀逸なのは彼を捕えるのが虫篭でも檻でもなく、というところなんですね。
鳥取砂丘あたりをモチーフにしたであろう、砂漠の寒村を訪れた主人公は砂に埋もれつつあるその村の埋没した家に監禁され、砂の掻き出しをさせられます。そこにいるのは砂の女。彼女は集落の住人としてそこに住み、その環境に充足してすごしているのです。主人公は幾度も脱走を試み、足掻くのですがそのうちこの環境を現実として受け入れてしまいます。そして終にはある種の喜びを見出すまでになってしまうのです。
なんといっても秀逸なのは「砂の女」です。彼女は砂に埋もれた家に住む普通の日本人なんですが、その生活を甘受していて逃げ出そうという気さえありません。いや、平たく言えば砂の家は女の自意識の中に取り込まれている女の巣なのです。最後、妊娠したときだけこの巣から女は離れるのですが、それまで女と砂の家は一身同体となっています。まさに男にとって女は蟻地獄のようなものだったのでしょう。あの虫も完全に巣と己が一体化しており、もはや線引きが不可能な存在と化しています。
一方浮薄なる生・男性たる男は根無し草。女にとっての安住の地・砂の家も男にはただの地獄。そこから逃れようと必死の努力を重ねます。しかし彼は元来た家に帰りたいのでしょうか?職場に戻りたいのでしょうか?逃亡を重なるうちに男は自分が拠って立つ「拠点」のそもそもの危うさを体感し始めます。それと同時に絶対の障壁たる「砂の女」、「砂の家」にある種の帰属意識を持ち始めるのです。そして最後。砂の家の中で水を自給できることを発見します。男はこの他愛もない成果を絶対の確信として砂の家に安住することになるのです。彼は砂に怯えていたわけではないのです、寄る辺無き己におびえていたに過ぎないのです。男自身の寄る辺が確保された今、砂は男にとって安住の地となりえてしまった。
そして男は元の生活に戻ることはなかったのです。でも、「戻る」とはなんなのでしょう?「元」とはどこにあるのでしょう?砂の中に確信を見出した男は、本当に「失踪した」と言えるのでしょうか?何から?どこから?どこへと?それを示すことが私たちにできるとは、思いません。