オリジナリティーとはなんぞや?

はーい。大げさなタイトルと共に始まりました。寒いのに雨降りという最悪な毎日。皆様如何お過ごしですか?
さて、今回の議題はオリジナリティーに関してです。我々が生きる為にはぶっちゃけオリジナリティーなんていうものは必要ありませんし、それに固執するメリットもありません。真似でも何でも人が生み出した物を転用すれば良いし、その方が効率的。しかしそんな事を言っていられない人種がいます。それが芸人です。
芸といってもいろいろです。工芸、武芸、文芸。これら芸で勝負する人間は、人と違ったコンテンツを提供しなければ、見捨てられてしまいます。因業な商売です。しかし、オリジナリティなんてものは本当に存在するのでしょうか?芸に生きる人間たちは全く新しい「創造」を日夜繰り返す事が出来るのでしょうか?そこんとこ、考えてみます。
さて最初に私の立場を表明した方が話を進め易いですね。私は完全なオリジナリティというものは信じておりません。もっと厳密に言えば一からの創造といったものはないと思っています。では、芸人が日夜新しいコンテンツを導入し続けるのにはどんなからくりがあるのでしょうか?私はそれを移送(いそう)である、と捉えています。
移送とは全く別の事柄を一つの世界に持ちこむ事で、ミスマッチ感覚を生み出す物、とここでは定義します。慣習として当たり前に成立していた世界に、他の世界のものをぶち込むことで異化作用を狙う。創造と一般に呼ばれる物はすべてこういった作用の斬新さに対してつけられた名称と考えます。ウルトラマンの成立を例に考えてみましょう。

原水爆の恐怖を伝えたい→恐怖を形象化する必要がある→ゴジラというモチーフの登場。
②新ジャンルのプロレスが見たい→怪獣のプロレスが見たい→ウルトラQ
③怪獣プロレスに定番のヒーローが欲しい→ウルトラマン

というふうになります。すなわちウルトラマンだけを取り上げれば、巨大ヒーローという画期的な存在。となりますが、その前史にあたるゴジラの登場や怪獣同士のプロレスであるウルトラQ。ヒーロー的レスラーであるウルトラマンの登場。と話をつなげていけば芋づる式に発想が芽生えていった事が分かります。これをオリジナリティと言うことができるかもしれません。しかし、それが生まれるための土壌や切っ掛けは提示されていて、そこへ乗った為に生まれたものであり、筋道は用意されていたのです。「怪獣に相撲を取らせる」という異化作用こそが道を生み出したのです。
オリジナリティには道程があり、常識という根っこに違う世界のものをどう絡ませていくかという地に足のついた作業が必要なのです。奇矯な行動をするアイディアマンは逆に、世界の常識(世間のソレとは違う)とでもいうべきものを持っており、ある意味では我々より堅実な志向でもってアイディアを捻出しているのです。
昨今話題にされるアニメや特撮でのオリジナリティ欠如いう問題も、この常識が関わっていると感じます。違う世界のものを常識の根っこに絡ませるためには、「違う世界」に対する熱意が必要です。アニメにしろ特撮にしろ、3、40年前のスタッフはソレ自体がやりたいが為にこの世界に入ったのではなく、メジャーデビューのきっかけを狙っての足掛かりや、整流から外れて流れつく場所だったのです。そのため、彼らが憧れるメジャーな映像世界(ぶっちゃけ映画や文芸作品)への対抗意識としてアングラな実験(実相寺昭雄)や残酷なリアル(富野)を持ち込んで
「凄いでしょ。アニメや特撮って馬鹿にされてるけどこんなことだってできるんだから。フ、フン。別にメジャーなドラマや映画なんて羨ましくないんだからっ!!」
というややツンデレ入った意識を表明する手段だったのです。そしてこういう意地を喚起する正統への対抗意識こそが情熱となり、新たな結合を生み出したのです。
しかし現在。映画産業はポシャり、アニメや特撮が映画の稼ぎ頭になる世の中になってきました。そして正統への対抗意識とは関係なく、最初から「そのもの」自体をやりたいが為、アニメ・特撮業界を志す人間によって大勢が占められるようになってきました。今では受け手も送り手もオタク化しています。結果、新しい発想を出して対抗するためのライバルや、打破すべき正統は存在しなくなってしまったのです。
まあ、ある意味成熟したともいえるこの現状。オリジナリティと呼ばれる物を生み出す為にはアニメや特撮を「造る事」を目的にするのではなく、そこで「表現する事」を目的にしなければなりません。つまりこれらのジャンルの日常化をより深く進める必要があるのです。「アニメ」であるから「特撮」であるから有難がるのでは、いつのまにか古典芸能という美名のもとにメジャーから外れていってしまいます。そこで「何ができるのか」「何をしたいのか」。目的ではなく手段であり続ける事がオリジナリティを維持し続ける為に必要な事かと。
・・・いつのまにかオリジナリティ論でなくアニメ・特撮論になってしまった。