コンバット越中3

昼食を食べた後はいよいよ伏木(ふしき)へ向かいます。「どこだそこは?」という声もちらほら聞こえてきますが、ここは越中国府国分寺が置かれていた、いわば中心地です。高岡駅から氷見線に乗り換えて、一路「世界伏木(ふしき)発見」へ!!
まんまななまえの越中国府駅で電車を降り、一路、越中国分寺をサガスナイパー!!*1
・・・しかしみつからず。国分寺をフラフラ捜し求めるうちに高岡市万葉歴史館なるものを発見。早速潜入です。そこは大伴家持(おおとものやかもち)ワールドでした。大伴家持とは古代軍事氏族大伴氏の直系で、万葉集を編纂した人物です。彼は各国の国司を歴任していてその一つがここ、越中でした。彼がここで読んだ詩は万葉集の家持の詩の中でも最も多い数となっています。それにちなんで建てられたのでしょう。ちなみに高岡を走るローカル路面電車万葉線の名前もおそらくはここから採られているのでしょう。そんなこんなで、ひとしきり大伴家持について勉強した後は、再び国分寺探しに邁進です。探す事三十分、ようやく見つけた国分寺は・・・
ち、ちっちゃい。
そこは1間ほどのボロボロの草堂がぽつねんと建つだけの空間でした。安芸国分寺*2周防国分寺*3上野国分寺*4などのでかい国分寺を予想していた私は拍子抜けしました。そしてそれに対比するように越前国府跡に鎮座する浄土真宗寺院勝興寺のデカイことといったら。京都の本願寺に負けないぐらいの大きさがありますよ、マジで。*5地方寺院でこの大きさは壮絶です。しかも書院やら経蔵やらの附属施設もしっかり完備してある・・・。高岡という都市の物持ちの良さにあらためて感心した次第です。
で、その後は氷見線に再び乗りこんで雨晴海岸(あまはらしかいがん)へ。ここは右には富山の明峰・立山を、左には能登の半島を望む絶好のビューポイントで、大伴家持も詩のなかでその壮麗さを呼んでいます。


馬並(な)めて いざ打ち行かな 渋谿(しぶたに)の   清き磯廻(いそま)に 寄する波見に


ただ万葉集ではこの海岸の名前を「渋谿」(シブタニ)と呼ぶのが知り合いの最強の魔王を思い出させて、嫌です。
その後は富山市内に戻り、1980円の安宿でエロチャンネルを堪能しながら明日の金沢行きに備えたのでした。

*1:ボウケンジャーの高丘映士が変身するボウケンシルバーの武器。高岡市内にいる間、ずっとこの茶パツアンちゃんやクエスターやらガジャさまやらのボウケンジャー用語が頭を渦巻いていた

*2:酒の町・西条にある

*3:種田山頭火の町・防府にある

*4:目立たない県庁所在地・前橋にある

*5:ゴメン大げさです。本当は知恩院ぐらいです。それでもデカイ