生駒山であったこと

写真があったので去年の十一月に行った生駒山の切なさをアップしました。

ここは山の上の遊園地、おそらの遊園地。

朱色に塗られた電波塔がニョキ、ニョキニョキと山を抜きつつ空に刺さっていく。
その朱朱したカンジ。さながら神社のような、お寺のような。でもここは空。


無人の広場。もの言わぬ遊具。回らぬ飛行塔。走ることを止めた機械たちは、それが本来の姿であるにもかかわらずどこか寂しげ。

日のみが赤々と微笑んでいる。眩しいぐらい。でも、いつものように鬱陶しくはない、どこか優しい。


ここは空。近畿を貫く生駒の空。眼下に見える地は粛々と夜の為の灰色支度。か細い明かりをポツポツ照らし、寂しい夜に笑っているふり。気づかぬふり。

でもね。分かるんだ。ここはお空だからよーく見える。地にある君たちは寂しさを思わなくても、夜は寂しいでしかできていない。ここはまだ明るいから、寂しさに染まらずに、寂しさを観ることができるんだ。そして、だから、本当に、寂しい。


あんなに高いところにいた日も、もうおのころ島の彼方へと隠れようとしている。
彼は一人だからこの暗さに耐えられないんだね。
明るいところへ、逃げて、逃げて、逃げて。死ぬとき初めて暗くなるんだ。


彼がいちばん、寂しい。