東京湾大決戦 二章

自宅からカーをすっ飛ばして、まずは横須賀へゴウです。
横須賀はアメリカ第七艦隊の本拠地でありまして、港湾内には軍艦がたむろしています。そんな中、毛色の違う軍艦が一隻。何を隠そう、現存最古の鋼鉄艦にして特A級の戦績を誇る戦艦・三笠(みかさ)がそこには鎮座ましましとりました。
日露戦争バルチック艦隊を壊滅に追いこんだ海戦史に残る徹底的な勝利、「日本海海戦」の旗艦となったのがこの戦艦・三笠です。1902年にイギリスのビッカース社で作られた艦は現在も海を臨む横須賀・三笠公園に鎮座しています。私が横須賀についたのは七時半だったので三笠の拝観時間より一時間半ほど早く着いてしまったわけです。そこでボーッとしながら三笠を眺めていると、スルスルとマストに日章旗Z旗が掲げられていくではありませんか。いやはや、早起きは三文の得ですな。
九時になったので三笠内部を拝観・・・と思いきや、まず最初に行かねばならないところがありました。それが今回の旅の目的地・猿島(さるしま)です。戦艦三笠の真横から出ている船で片道十分のこの島は東京湾における唯一自然島。しかも東京湾の防備の最重要地帯として、島内は完全に要塞化されています。では、私と一緒に猿島へと参りましょうか。

横須賀からフェリーでわずか十分。料金は往復1200円也。ちなみに十二月〜二月までは土日、祝日しか営業していないので注意が必要です。私は四年前にも上陸しようとして痛い目を見ました。
猿島東京湾の防衛の要として江戸時代に要塞化の嚆矢が見られます。弘化四年(1847)に三箇所の台場が設けられ、大筒十五挺が配備されたのです。その後明治時代に入ると要塞化は本格的になりました。砲台は近代化され、明治十七年(1884)に猿島要塞が完成したのです。

これが要塞のメインストリート。狭い島内のため露天掘りで通道が設けられております。鎌倉などによく見られる「切り通し」というヤツですな。この通路は両サイドがレンガで造成されています。これは切り通しの横部分が弾薬庫として使われていためでありますね。

これがその中身です。暗くてよく分からないのが残念です。この通路のレンガは明治初期に要塞化したときに組まれたものです。そのため、フランス積と呼ばれる工法で仕上げられております。我々が一般的に見るレンガの積み方はイギリス積というヤツで、一段ごとに長短のレンガの層を組み合わせる工法ですが、フランス積は長短を交互に組み合わせて一列を作り、それが互い違いになるようにレンガを組み合わせていきます。分かりやすく図にすればこんな感じです。

下手な絵ですみませんが、大体理解してもらえたでしょうか?日本では初期のレンガ工法はフランス式で行われており、その後イギリス式が普及することになりました。ですんでファッションでやっている以外のフランス積は相当古い年代のものになります。猿島にはその当時のフランス積が残っているわけです。そいでもよく分からんって人はここを参照してください。
http://www.redbrick.jp/mizu/kouza5.htm

で、この切り通し道を越えると、目の前にはトンネルが待ち構えておりました。

このトンネルも当然フランス積で作られており、なななんと、日本で現存する様式アーチ造りのトンネルで二番目に古いものとなります!ちなみに一番古いのは地方都市kにある東海道線逢坂山トンネルになります。(明治十三年完成)これはその後1〜3年以内に着手、完成されたものです。地方都市k在住の方は是非そちらの方も参考にしてみてください。このトンネルを越えると丘がありまして、そこを上ると展望台にたどり着きます。・上陸からここまでおよそ十分。本当に小さな島なのです。

そして何を隠そう、この展望台こそが仮面ライダーにおいてゲルショッカー結成式が行われた、特撮記念物としては特A級の場所なのです!!
続く