「地球へ…」は地球へと辿り着けるか

竹宮恵子といえば萩尾望都と並んで「花の24年組」と呼ばれ、少女マンガの黎明期、そして黄金期を彩った作家です。
そんな女史の代表作・「地球へ…」の放送が今日から始まりました。

地球へ… 1 (Gファンタジーコミックススーパー)

地球へ… 1 (Gファンタジーコミックススーパー)

この話は地球棄民となった人類が、過去の過ちを繰り返さないため自分たちの統制をコンピューターに委ねた世界が舞台です。機械に統治された人類は「成人検査」という儀式を経て、社会の成員になっていくのですが、それは超能力者・ミュウの識別作業でもあったのです。希に誕生する人類の突然変異的なミュータント・ミュウ。成人検査の過程でミュウと判断された人間は、機械の判断でデリートされていたのです。しかし彼等は地下に潜伏して、機会を待っていた。
彼等を空へと羽ばたかせる希望が来ることを。
彼らの希望。ジョミー・マーキス・シンが成人検査を受ける日が近づいていた。

こんなのが大まかなあらすじです。で、今回アニメ化された1話を見てみたんですが・・・。
絵が綺麗ですね。かっちりとまとまっています。あ、あと出渕裕がデザイン協力してますね。兵士のヘルメットにブチ穴が開いていました。それからナレーターがアナゴくん、あとは、あとは、あとは、
「何故、第一話に短編連載時の内容を凝縮しなかったんだろう」
この作品、書かれた70年代当時は長編を予定されていたものではなかったのです。読みきり作品で、好評だったことから短編を叩き台にして長期連載が始まりました。したがってその部分独立した作品として見る事ができるのであり、それ一つを30分でまとめる事も可能だったのです。本放送ではその処置は取られませんでした、なぜか?
次の2話と合わせて短編連載時の部分をカバーするのだと思います。この措置をスタッフが取った理由として考えられるのは、
① 短編とはいえ一話にまとめるのでは話を端折りすぎる
② ソルジャー・ブルーを延命させて人気を取りたい。
③ 「引き」が欲しい。
こういったことだと思います。①は話を端折ることで見始めた視聴者を引かせ、入りにくい話だと思わせるのを防ぐためだと思われます。②はミュウの長・ソルジャー・ブルーは短編で死んでしまうので、キャラ造詣が優れている彼をなるべく延命させ、視聴者の人気を取ろうという作戦だと考えられます。そして③「引き」の問題です。
「引き」とはマンガなんかでよく使われる言葉で、次回の連載まで読者の関心を引き付けておくため、わざと切りの悪いところ、先が気になるところで次回に続かせる手法のことを言います。二話に分割したのはこれをやりたかったからだと。
ただ、それが有効に作用しているとはお世辞にも言えません。巨大なマザーコンピューターが出現したところや、二話以降の話になる地中の宇宙船に遭遇する場面で引いておけばまだ効果があったかもしれませんが、ブチ穴兵隊に囲まれただけで終わり、というのは「引き」として必ずしも効果が発揮できていると言えません。
私は作品の一話に重要なのはヒキよりもジェットコースター感なのではないかと思います。決して分かりやすくする必要はない。情報を詰め込むか、スカスカにしてただ読者を、視聴者を圧倒させる絵作りをする。説明は二話以降でも十分できるのです。一話はコケ脅しとでもいうべき演出をして、視聴者を圧倒させなければならないと考えます。そういう意味では今回の一話には短編集の内容のエッセンスである、
成人検査を受ける→ミュウと出会う→ソルジャー・ブルーがジョミーに後を託して死ぬ→宇宙に飛び出す
というエポックメイキングな展開のみを矢継ぎ早に出して視聴者を圧倒させ、二話以降でそこへ至る過程(ジョミーの成人検査以前の日常生活)を腰をすえて描けばよかったのではないかと思います。前の枠でやってた芸能人のアニメ評論を潰して、一時間枠にしてでも。
30年前の古典と呼ばれる作品を扱うからには、優等生的に原作を再現する作風ではなく、相手に食いつき、凌駕する意気込みが必要だと思います。まだ序盤なので今はこれからの展開に期待、とします。特に影の主役であるキース・アニアンの描き方に。