おそらくは・・・

春の陽気にふわりふわりと誘われて、そのままあちらの世界にトンでイキソウナmantrapriです。こんにちわ。
桜も花を散らす今日この頃、桜の木下には死体が埋まっている話をする時期がやってきました。
そう、去年も言いましたが桜の木下には死体が埋まっているのです。その養分を吸って桜は怪しくも美しゅう咲き乱れるのです。はい、さながら冬虫夏草ならぬ冬人化桜(とうじんかおう)ですね。なんとも風流、紙吹雪。
しかしここで問題があります。桜は一人一木なのでしょうか?それとも何人もの人間の養分を一本の木が吸っているのでしょうか。もし後者なら桜はなんと多情な生き物。桜は己一人を選んだと、信じ、嗤って死体となった木下の君。仮名木下さんがあまりにも哀れです。できることなら一木一人。桜は死体を選び、死体は桜を選んだ。
二人ともに春咲き誇り、夏萌え出で、秋色づき、冬その身をさらす。そんな悠々自適な死体と一株。素敵だと思いませんか?西行法師も義経もそれ。死は桜に彩られることを望み、桜もまた死を彩ることを望む。どちらが加害者でも被害者でもなく。お互いがお互いを求め寄生し合う。二つにしてひとつ。
死んで花実は咲かないが、死なねば咲かない花もある。ひとはさくら、さくらはひと。どこかで人の血を吸い、どこかで人に血を吸われ。咲き、咲かせる。そして最期には桜の下で春を待つ。たったひとつの自分の花を待ちながら、死ぬ。