前回の続き。金田一シリーズです。
土地の古老からつむぎだされる恐るべき事実。獄門島の鬼頭家の人々は横溝正史の知り合いだったとは・・・。しかし、殺人事件にそのまま名前が使われても文句一つ言わないなんて、昔の人はおおらかだなぁ。古老は次にここを訪れる人について語りました。


古老:遠方から来る人々もけっこうおるんですよ。それも観光のついでとかじゃなくて、わざわざココを尋ねにね。それで部屋の中をじっと見て物思いにふけっておられる。ああいうのが本当のファンなんじゃろうなぁ。
mantrapri:そうですね。横溝正史本人が見えるのかもしれませんね。
古老:そうそう。お客の中に感心な小学生がおってのぅ。小説を自分で書くって言うちょったんで「ボクは推理小説は書かんのんか」って聞いたら「人を殺すようなんは、好かん」と答えての。ありゃあ、頭のええ子じゃった。
mantrapri「そうですね。今の(昔もだけど)テレビでも小説でも人が死ぬような話しばかっりですもんね。そういう感覚って麻痺させられてる気がします。ほんとうに偉い子ですね」
古老「ほうじゃのう」
古老:推理小説っていうのは終わりから書き出したほうが見易い(「簡単」という意味の中国地方の方言)んじゃなかろうかね。
mantrapri:なるほど。つまり結末を見据えて書き出すと言うことですね。
古老:トリックでも何でも、「こう落とす」という落としどころを設定してから書き出す。作者というのは犯人の目線で書いちょるんじゃろうね。
mantrapri:だから金田一は最後まで事件の謎が解けないんですね。つまり作者(犯人)の手のひらで踊っている、と。
古老:そうそう。


古老は「自分はあまり推理小説は読まない」と言いながら、創作論についてかなり的確な意見を述べてきました。恐るべき古老であります。ホント。しかしその小学生は賢い。名探偵コナソの見すぎで脳が麻痺している現代人が考えるべき問題です。
古老とひとしきり小学生の話をしていると外で雨音がしてきました。傘を持っていない自称井上陽水男・mantrapri。困りました。
「Kトラに乗せていっちゃるよ」
古老の言葉に甘えることにします。で、連れて行ってもらったのが真備町立博物館。ここには近世この地を治めていた岡田藩の歴史資料と、横溝正史の遺品が展示してあります。遺品の中にあった自筆の墨蹟の「鬼想仏心」という言葉が身にしみました。座右の銘にします。
で、性懲りもなく次回に続きます。