ニコニココロシアムの嬌声

いやはやニコニコ動画はやばいですね。
創造的なコンテンツです。こちらの想像力が吸い取られるくらいに、恐ろしい。前回もその効能に触れたのですが、今回はニコニコにたむろする住人の気性と傾向について考えてみたいと思います。ちなみに前回の記事は、こちら。
ニコニコ動画は悪貨であるか? - マントラプリの生涯原液35度
私はニコニコ動画の中でも東方シリーズのMADが好きです。マイリストの半分以上はそれで占められています。で、そんな東方MADのなか、先日アップされた「東方発情祭」(すごいタイトルだな、こりゃ)は視聴者の伸びが良く、先日段階ですでに7万人以上のユーザーが閲覧していました。
これだよん。

この作者は前回「ばか?すた」という「らき☆すた」のオープニング「もってけ!セーラーふく」を改造、キャラクターと舞台をすべて東方キャラに置き換えてコンテアニメを作ってしまったという情熱家です。
今回の「東方発情祭」でもそんな彼の味わいが生かされており、良質の動画を堪能できました。
で、ここからが本題です。ニコニコ動画独自の制度として映像にコメントできるというものがあります。人々はその作品が上映されている最中に、作品に関する感想や賞賛、罵声を浴びせることができるのです。匿名で。この「東方発情祭」へのコメントも東方という作品そのものへのコメント。作者への「作者乙」や「才能の無駄使い」という賞賛の言葉、および一部に「東方知らんから、わからん」という罵声が混ざり合っていました。
この映像上に流れるコメントというものを最初見たときは混乱しました。各人が好き勝手なことを喋って、そこに協調性や統一感はないからです。チャットやメールと違い、ニコニコ動画でのコミュニケーションは一方通行。発信したらその瞬間に発散してしまう瞬間的なものなのです。しかし慣れるに従い、私はこう考えるようになります。
ああ。ニコニコ動画はコロシアムだ、と。
コロシアムとはローマ帝国の昔。帝国の中心地に設けられた闘技場です。ここでは剣闘士(グラディエーター)たちが人間や野獣相手にさまざまな格闘線、場合によっては海戦までも繰り広げ市民を楽しませました。コロシアムは「パンとサーカス」のサーカスにあたり、ローマ皇帝ローマ市民への人気取りのため、欠かせない材料だったのです。ニコニコ動画はこのコロシアムに非常に類似した形態をとっていると考えます。
毎回自作の画像やMADをうpする人々は敬意をこめて「職人」と呼ばれます。彼らがニコニココロシアムの闘技者・グラディエーターなのです。で、ニコニコ動画のアカウントはローマ市民権。それを持っているアカウント保持者はニコニコ運営者(ローマ皇帝)よりニコニコ動画に参加する(パンとサーカスを得る)権利を与えられるのです。
グラディエーターはあらゆるスキルを尽くして、ニコニコユーザーを喜ばせようとします。「東方発情祭」の作者のように自身の栄誉をかけてMADを作成し、闘技場たるニコニコ動画へと持ち込むのです。そこに集まる群衆はグラジエーターの作品を観覧、賞賛、情け容赦ない言葉をその場の勢いでポンポンと発していきます。この「ナマの感覚」はチャットやメールとは違う、まさに競技をリアルタイムで「見る」感覚なのです。このコロシアムにルールはありません。市民が多くの歓声(コメント)をあげたものが残り、人々が口をつぐんでしまうもの、コメントなきものは淘汰されていくのです。また皇帝(ニコニコの運営者)の不興を買ったグラディエーター(違法動画)は、臨席した皇帝の名の下、処刑(削除)される点も共通しています。
ヤラセも伝統も形式もない、はたまたルールも成功の方程式もない。混沌の映像闘技場(ムービーコロシアム)。それがニコニコ動画なのです。その明暗を分けるのは、有象無象のニコニコユーザーによる賞賛と罵声によるコメントの嵐。ただそれだけです。