さくらん桜

桜の季節はとっくに終わり、一年で最も打破したい梅雨がやってまいりました。梅が咲かないのに梅雨とは、コレ如何に?
遠くに雨の音が聞こえると、とたんにそれは近づいてきて、世界を覆いつくします。何事もわずかならば愛せますが、世界が覆われるほどにはびこってしまうと、もう愛の対象としては見れないのが人間の浅ましきところ。その点同じ降るでも桜は善きこと。人の心を落ち着かせぬ魔性の花ながら、その怪しさは局地的であるからこそ発揮されるのです。ポイントに存在してそこを動かない。しかしその場所のみは独自の空間を形成する。スポットの美しさ。隔絶された世界。西行法師が「願わくは 花のもとにて 春死なむ その如月の望月のころ」という歌を残しております。季節(旧暦2、3月)も、場所(花(桜)の下)も、さらに月(望月=満月)まで指定するとは、何たるリザーブ。贅沢のきわみです。
所有を尽くすと限定の美しさが分からなくなる。「願い」は限定を求める心から生まれるものだなぁ、とつくづく思います。
で、西行法師といえば。