円谷プロが・・・

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円谷プロが身売りですか、そうですか。満田氏の努力だけではなんともならぬものですね。
私は円谷プロというものを、円谷一によって築き上げられた遺産で食べてきた会社だと考えています。父である円谷英ニもそうですが、この会社の枠組みを整え、軌道に乗せたのは実子・円谷一でしょう。金城哲夫を揺り動かし、ウルトラの夢を築き上げたのも、冬木透にウルトラセブンの無機質にして甘美なメロディを生み出させたのも、彼。「工場」ではなく「企業」としての円谷の土台を築き上げたのは、監督であり、職人であり、ミュージシャンであり、経営者であり、ロマンティストでクリスチャンであった円谷一であった、と私は考えます。
彼の生涯に比してその夢の何と長く続いたことか。夢を売るのは地獄です。現実の中で絶えず夢を見続けなければならない、探し続けなければならない。白昼夢という言葉では片付けられない意志。「夢」を売るには己の「夢」をチューブの如くひりだし、それでも足りなければ町の雑踏の中、ごみための中から探し出さなければならないのです。
また、夢というものは存外金がかかる。円谷プロは出だしから赤字続きでした。番組の視聴率に比して制作費も天井を突き抜けていく。しかし、資財をなげうってでも良いものを作りたい、満足できるものを世に出したい。そういった職人気質というか、破局の萌芽というものが円谷プロには最初からありました。ここらへんは現在アニメーターが置かれている不遇な状況と合致する点がありますね。いずれも古き良き…とは言い切れないが、「ものづくり」としての矜持なのかもしれません。
夢は永遠に続きます。人間が眠り続ける限り。自分とは違う何かを求め続ける限り。我々はいつまでも夢の中にいるのです。しかし、同じ夢をいつまでも見続けることはできません。いや、あえて言うならそこから醒めなければ新しい夢が見れないのです。ウルトラも仮面ライダーガンダムも、ありとあらゆるコンテンツという名の夢、道具、金づる、共通幻想。人はそれを思い出としては一生とっておけますが、いつまでもそれで遊んでいるわけにもいかない。そう、新しいおもちゃを常に要求し続ける。夢は思い出や懐かしさからも手繰れます。しかし、新しいものへの欲望こそが夢の最先端なのです。我々は昔からの偶像を愛しながら、同時に新しい偶像を創造していかなければならない。集団における夢は消費される。常に蝕まれ、栄養となり、いつか思い出という名の地に堕ちる。
それは不義理でも、不如意でも、ありません。摂理です。そうやって夢も、人も、世界も消費され、いつか思い出よりもさらに遠い、事象の彼方へと去っていく。それだからこそ新しい芽が芽吹くのです。
円谷の合併も一つの夢の終わりに過ぎません。まだ、円谷は生きている。一の作った円谷でなくなったとしても、いや逆にそのことで新しい芽を芽吹かせることができる、そう私は夢見ています。
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