リポジトリ・オブ・ヒロカワ2

さっき東方紅楼夢のホームページを確認したら、当選してました。これもすべて弘川寺に祈願したお陰です。詳細についてはまた後々触れていきますが、11月4日、京都市勧業館みやこめっせにて同人誌をちょぼちょぼと売る男がいたら、それが私mantrapriでございます。さーてペン入れをせねば。
で、旅の続き。壺井八幡宮を後にして、ひたすら参道を南になんか、南下。次第に暑さが堪えるようになってきました。暑さのせいで遠方に変な幻覚まで見えます。空に聳え立つ、巨大な、白く捻じ曲がった、穴だらけの、尖塔…。きっと気のせいです、私の気の迷いです。そんなありえないものがこの平凡な河内の地に存在するはずがありません。きっと疲れのせいです。
私は無視して先に進むことにしました。
しばらくするとお墓が見えてきましたよ。

何を隠そう、八幡太郎こと源義家の墓です。はい、弟には賀茂二郎、新羅三郎がいます。神社三兄弟です。ちなみに新羅三郎義光は、今大河ドラマをやってる武田信玄の祖先です。で、源義家は前九年、後三年の役で源氏の名を関東に轟かせ、鶴岡八幡宮を創始した源氏の守護神的存在になります。源頼朝鎌倉幕府を創設できたのもひとえに彼のお方の東国における基礎固めがあったればこそ、です。
お墓に参拝した後は川沿いの道をぷーらいぷーらい歩いておりました
ランドセル姿の小学生が歩く姿も見えて、大変のどか。あれ?今日は学校休みじゃなかったか?そう考えてその顔を覗き込むと…

あー!!太子っ!?
そう、もはやこのあたりは聖徳太子のテリトリーの中、見えてきましたよ聖徳太子陵・叡福寺が。

かなり立派な伽藍です。さすがは聖徳太子陵。観光客の姿もあちこちに見られました。ここで喉が渇いたので三ツ矢サイダーを補給。ちなみに三ツ矢サイダーの三ツ矢の由来は毛利元就でも三ツ矢雄二でもなく、多田満仲から来ています。詳しい話は私の以前のブログを参考にしてください。
ゆきの女王『マジョリン、例のものを』(cv今井由香) - マントラプリの生涯原液35度
太子。そう聖徳太子は私のアイドルです。私は太子が好きで好きで、ついには自分でゲームウォッチ風ドット絵・聖徳太子ゲーム描いたぐらい好きです。その陵墓に生まれて初めて参拝しました。感激もひとしお。ラッコのチョッキの話題も打ち止め。

このこんもりした森がお墓です。現在宮内庁が陵墓指定しているので入れません。
次の目的地、推古天皇陵まで再び徒歩です。だらだら道を二上山のほうに向けてえっちらおっちら。ようやく20分後に到着。

この地は河内飛鳥というだけあり、六世紀末〜七世紀初頭の天皇陵が集積されています。日本初の女帝(異論多々ありですが)推古天皇もこの地に息子の竹田皇子と一緒に葬られています。そんな推古陵に参拝を済ませたとき、ふとあるものが目に入りました。

空に聳え立つ、巨大な、白く、捻じ、曲がった、穴だらけの、尖塔…。


夢じゃない。

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