上手から下手へ、下から上へ −劇場版エヴァの空間−

見てきましたよ、ヱヴァンゲリヲン新劇場版。感想を書きますよ。

うーん、よござんしたよー。ああ、なんと言おう。なにを言おう。語ることは数多あるのに、ああ、それ故に語る言葉は綾の様に絡まって手繰り寄せられぬ。そう綾糸(あやいと)。綾糸について語りましょう。新劇場版に際して挿入されたであろう、一筋の流れ。骨子。それについて今回は述べることにいたしましょうか。

まずは空間。三次元に対するあくなき欲求があった。
第三新東京市が上下に動き、脈動し、さながら巨大ロボットの変形のよう。
使途の接近と共に、都市は下降、地表を突き破り、氷柱の如く地下に垂れ下がる。その過程をベルトコンベアのきしみ、超巨大ボルトの脈動、ありとあらゆる視点を取り揃えて、見せてくれるのです。みなさんがプラモデルをくみ上げたり、変身ロボットを動かすときの手触り、肌触り。それが都市レベルで行われる、と考えていただければ分かりやすいでしょうか。
そんな第三新東京市の姿は、人造人間・エヴァンゲリヲンよりも、使途よりも、これがロボットアニメだということを実感させてくれました。決戦要塞にして巨大変形ロボット、巨大な機械の肉体を持つ生きた都市・第三新東京市。三次元の都市がそこにあるということを手触りに似た感覚で味わせてくれます。


で、都市の三次元への志向は、人間によって血肉を通わされます。
この映画に登場する上下移動手段の多いこと、多いこと。列挙します。
車両専用エレベーター
エヴァ発射カタパルト
空中電車
エレベーター
ケーブルカー
長大エスカレーター
リフト
ほんと、楽しい乗り物映画です。第三新東京市が肉だとすれば、住民は血。血を通わせるためには密なる移動手段が必要です。血の移動を円滑に行わせるインフラがありとあらゆる角度から描かれています、ああ、都市が生きている。

上下に対する志向、立体に対する志向が随所に見られる映画。それがヱヴァンゲリヲン新劇場版なのです。して、その上下へのこだわりはミクロな視点。碇シンジ個人にも見られます。上手(かみて)と下手(しもて)と、いう形で。
上手と下手というのは演劇用語で舞台の両端のことを指します。それが象徴的に出ているのがシンジとエヴァの初めての出会い。エヴァの手前に設けられた通路が舞台とすれば、その両端が上手と下手になります。エヴァの顔の前にいるシンジを中心にして、両端には葛城ミサト赤木リツコがいます。そしてシンジの上にはゲンドウ、という構図。あまりに演劇的な空間です。
この空間の中、上手のミサト、下手のリツコ、および天からゲンドウの声でシンジは選択を迫られることになります。この拮抗状態を破るのが、タンカで運ばれた綾波レイなわけですね。うーん、事の運びも演劇です。
この上手と下手を意識した空間はシンジが迷うシーンに挿入されます。ラミエルとの決戦を前にしてビルとビルの渡廊下で怯えるシンジなど。
かような空間意識は明らかに演劇を意識したものです。かつ、演劇という点で興味深いのはエヴァパイロットとその保護者の関係がより明確化され、さながら能のシテとワキの役割を担っていることです。
能においてシテは舞を舞い、現世への思いを訴える語り手役。ワキはその思いを引き出す聞き手の役割を果たします。エヴァにおいてパイロットであるチルドレンたちは語り手であり、戦う舞い手。彼らの保護者ミサト、リツコ、リョウジは彼らの思いを引き出す聞き手に当たるのではないでしょうか。
なにせ、今回の劇場版は「序」。「序破急」の「序」。能での舞台進行を表すことばなのですから。劇は開幕したばかり、これから序、破、急。そして見知らぬ地平へと、舞台は進行していくのです。いやはや楽しみ楽しみ。