リポジトリ・オブ・ヒロカワ4

いよいよラストワードです。
願わくば 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ
という歌の通り、桜の季節に隔世へと旅立った歌聖・西行。その終焉の地。弘川寺まで。
とはいうものの桜ではなく楠木の罠にはまり、山沿いの峻険な要害やら山城やらを走破する羽目へと陥っておりました。花の元へと辿り着くには今しばらく時間がかかりそうです。時たま出てくる田園風景が私の心の一服の清涼剤となります。

いつも思うのですが、葛城山のふもとの景色は時折ビックリするような美しさを見せます。ただ何気ない田園、それが輝きをもち、こちらに迫ってくる。そういう一瞬の心の出会いを大切にしながら歩いていきたいものです。ただし、私が美しい景色に出会うときは、たいがいが昼飯抜きで十キロ以上歩いているときなので、幻覚の可能性も大いにある。
幻覚。そう、西行法師は八百年も前の人。我々はその存在を彼の残した歌や、彼について記された吾妻鏡の記述などからしか振り返れないのです。その生を見ず、死も見ない。遼か昔の幻覚。そう考えると文字の大きな役割は「残すこと」ということができましょう。人は文字を記し、文字に記されることで自己のバックアップデータを残しているのです。自分のため、家族のため、子孫のため、そして、誰とも知れぬ未来の為に。しかし、人の思いを留める記憶装置は文字だけではありません。
…と、妄念を抱いているうちに見えてきましたよ。

弘川寺まで、あと一キロ。ココまでに消費したペットボトルの量、2.5リットル。

ようやく…、到着。所要時間6時間。
もう一つの記憶装置。それは土地です。土地には人の手が施され、現在の形を成しています。幾代も重ねるうちに土地は経験を記憶し、ある一定の方向性を持つようになります。例えると、千早赤坂の要害の地は楠木正成の死後、戦国時代においても山城として機能しました。これは土地の記憶。軍事の拠点としての記憶、性質が作用した結果にほかなりません。これを専門用語でゲニウス・ロキ(地霊)といいます。
大概は「地形」という人間の営為の範疇を越えた部分で決定され、人間がそれを解釈するカタチで「ゲニウス・ロキ」は意識されます。しかし、幾代にも及ぶ土地への人工的な愛が、その土地を人工的に「ゲニウス・ロキ」として形作ることもあるのです。それが弘川寺。

西行はこの地に庵を構え、桜の頃に旅立ちました。しかし、西行がこの地を選んだのは空寂(くうじゃく)の行跡をしのんだからです。ゲニウス・ロキの原点は西行よりもさらに遡る。
そして西行の死後、五百数年。この寺に庵を結んだ人がいます。

歌僧・似雲(じうん)です。彼はこの地に西行の墳墓を見出し、その傍らに住むことを決めました。彼は西行の好きな桜を植え、そこに西行の墳墓と共に住み、死後はその傍らに寄り添いました。
五百年前の人間と同じ空間に生きる。我々が忘れてしまった人間を慕い、それに寄り添って生きることはできるのです。その行為は人でなしの所業に見えるかもしれません。
でも、美しいものはたいがいどこかひとでなしです。そして我々もそれに涙するぐらい、人でなしです。美しい、美しい、呪いです。
それからさらに二百五十年。「東方妖々夢」での西行寺幽々子のスペルカード、リポジトリ・オブ・ヒロカワの遺訓を尋ねて私はこの地を訪れました。人工的なゲニウス・ロキ。そこに吸い寄せられ、先人の記憶を、営為を確認する。そしてそれは文章にすることで広がっていく。弘川寺は現在でも組み入れ、取り出され続ける「記憶装置」なのです。
記憶装置、コンピューター用語ではこれを「リポジトリ」、と呼びます。