まっすぐゴーでなくても、いいよ 〜まなびストレートの夏休み〜

えー、お久しぶりでございますよ。

ということで「がくえんゆーとぴあ まなびストレート」第十三話(正式には七話)「夏だ!まなびだ!強化合宿だ!」見ました。
なんか久しぶりだから、レビューの描き方を忘れてしまいましたよ。ま、ぼちぼちいきましょう。これは本編では放送されなかった夏休みのお話です。学園祭に向けての聖桜学園生徒会一同のターニングポイント、まなびたちは強化合宿へと向かいます。
で、この話で最もクローズアップされていると私が思ったのは、学生とオトナの違いです。それはトクベツという詞に象徴されています。
衛藤芽生は夏休みを「トクベツ〜♪」と浮かれるまなびたちに対して、学校に行くか行かないかの違いだけで「トクベツ」なことはなにもない。とクールな意見を述べます。しかし、そんな彼女も「学校以外で遊ぶのは初めてだね」というまなびのセリフに、「トクベツ」を感じ、デレてしまいます。相変わらず無防備だ・・・。
一方むつきはバイト組に「学生さんは夏休みか」「お気楽でウラヤマシー」と言われ、それを引きずります。中、高では実感しませんが大学にもなると就職している知り合いも多くなるわけで、この無言の圧力というか「夏休み」というものに対するある種の後ろめたさが生まれてきます。今から二十八年後、2035年まなびストレートの世界は我々の大学以上に就職やらバイトやら若年就労者が増加しています。大学生の実感する以上の後ろめたさを感じているのかもしれません。
しかしその後ろめたさも「トクベツ」
「学生」の「夏休み」の「トクベツ」はこの話の随所に現れます。青春十八切符で鈍行列車の旅を満喫するまなびたち。と、いうか乗り過ごして満喫する羽目になってしまうのですが。おまけに嵐に巻き込まれ、ペンションに辿り着くことができませんでした。急遽予約した旅館に彼女たちは泊まります。
行き当たりばったり、時間の無駄遣い、アクシデント続き。「オトナ」の旅行では考えられないことです。オトナならば、ないしは資金が潤沢にある就労者なら、現地までは車、ないしは特急で向かいます。こうしたアクシデント、リスクは極力避けるようにします。大金を使っても。何故か?
時は金なり、いや。お金で時を買うほど自由になる時間がないからです。ありていに言えば「夏休み」がないから。だから「オトナ」は綿密に計画を立て、無駄な時間のロスを防ぎ、リスクを避けるのです。
稲森光香は旅館で自分たちと同い年の「オトナ」に出会います。この旅館の若女将です。彼女は将来、旅館を継ぐというヴィジョンを昔から明確に持っており、中学卒業と共に旅館の手伝いに入ります。彼女も彼女の母親である「女将」も光香たちのことを「学生さん」と言います。光香はそのことの重み、後ろめたさをひしひしと感じます。将来の進路を決めて、それに向かって「まっすぐ」に進む、自分と同年代の子。
しかし、女将さんはそんな光香たちの送る「学生」を娘にもさせてあげたかったとつぶやきます。しかも、そこに「目的」や「ヴィジョン」が必ずしもある必要はない、とも。何故か?
私が思うに女将はまっすぐに「オトナ」になる必要はない、と感じているからではないでしょうか。就労者=オトナではありません。リスクを避け、最善を求める、という人間として当たり前の行動を取るためにまい進する「オトナ」という意味です。
多分女将さんが言う「学生」は無駄なこと、リスクを度外視した、アクシデントを平気で、安心して、仲間と行える
ということなのではないでしょうか。そう、まっすぐ(合理的)である必要のない時間、学生。それを象徴的に表すのがトクベツな「学生」のなかでもさらにトクベツな「夏休み」なのではないでしょうか。
今の、目指す先のない、ふわふわと漂う自分を持て余している光香には、理屈はわかっても、納得できないでしょう。でも、
「あとでわかるよ、全ての意味は、今はわからなくても」です。
そう、これは「まっすぐゴー」が信条のまなびストレートにおいて、「まっすぐゴー」する必要はないよ、と言っているお話なのです。うーん、アンビバレンツ。