はてなは、ブログはもはや「日記」ではない

まきがいさんの今日のブログを見て思ったことがあります。
「スルー力」はもう死語になっているのかも - 敷居の部屋
ここでの「スルー力」とは、食いつきやすいネタを提供しているブログに対してあえてコメントやブクマせずにスルーする力を指していると私は考えます。
で、例としてあげているのが
はてなブックマーク - ある個人史の終焉 -after game over
http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/58d690dcf02e90a53f5a15310a81f6c2
です。この記事では前者のブログに対して後者が意義を唱えたこと、またその唱え方があまりにもな内容であったため、この界隈に人々がたむろしました。これと同じく賛否問わず人々がたむろしたものとしてこんな例もあります。
http://d.hatena.ne.jp/pmoky/20071028/p1
これはコメント欄が賛否の意見の応酬によって「2ちゃん化」してしまった例です。しかも親切なことにブログ主さんは群がる人々に対してコメント欄を何日にも渡って開放しております。奇特な方です。
もしもブログが日記であるのならば、そこにどのような思想、信条を書こうが、人から批判される筋合いはないでしょう。しかし興味深いことに人のブログに批判意見をコメントする人も、ブクマをして批判意見を書く人も、トラックバックをして自分のブログに批判意見を書く人も、ひょっとしたらブログを書いた本人でさえも、ブログが「日記」だと、プライバシーの領域に属するものだと思っていないことです。
そう、ブログはもはや「日記」ではない。
ブログは、公開されることが前提となっています。(プライベートモードにしている人もいますが)そこに書く自分の意見、思想、雑念、カルマを広く人々に知ってもらいたい、自分と無関係の人へ伝えたいという「意思」が少なからず存在するものと考えます。
しかし、その自分の意見に対して、批判を加えられたり、論理の穴を指摘されたり、執拗に責められるとまでは思っていないでしょう。「ブログ」はやはり書き手にとってはプライベート、日記の延長のような気持ちがあるからです。それが「炎上」のような事態を引き起こしたときに、初めて書き手はその落差に愕然とする、わけです。
で、ここで興味深いのはコメントする人、ブクマする人、トラバする人はそのブログがプライバシーに属するもの、個人のふとした会話の拍子に出てきた「なにげない言葉」とは、これっぽっちも思っていないことです。文章恐ろしや。彼等はこれがその人の「公式見解」、「意思表明」だと受けとめ、そのツッコミどころを探し、指摘します。そりゃあ、穴があるのは当たり前です。人間だから歪んでいます、どこか。しかし、いや、そうだからこそ攻撃の手を緩めずに指摘します。
しかもたちの悪いことにその攻撃は通りすがりの人間。いわゆる名前なきイナゴによってのみなされるのではありません。名前があり、界隈でも有名なブロガーによっても当然なされます。しかもその方法はトラバをして、自分の日記で意見を述べるカタチで。ええ、もちろん自分を例外にするつもりはありません。私も同じことをしています。
私に関してのことなので参考にならないかもしれませんが、トラックバックは「ダシ」です。人のブログでの意見をダシにして自分の見解、自分の主張を展開するための足がかりとして使います。多くの、アルファブロガーといわれる方々も多分ダシとしてトラバを使い、違った切り口、自分オリジナルの切り口を披露するために使用するものと考えられます。それを躊躇することはありません。公開されている記事にかんしては「そうされる(コメント、ブクマ、トラバ)ことを覚悟の上で公開しているのだろう」と暗黙のうちに意識しているからです。「ソース」とするのに微塵の躊躇もありません。
しかし、そうした行為もイナゴの一種ではないでしょうか。群がられることを覚悟している人はともかく、まったくそれを意識していない人にとっては。ブログでコメント、ブクマ、トラバをし続ける限り、我々はいつでもイナゴになりうるのです。善意悪意、真摯不真面目、そんなものは関係なく。
では我々は貝のように口をつぐめばいいのでしょうか。コメントもトラバもブクマもはては、はてなちゃんスターすらも人に与えず、人から与えられることもなく、隠者のように過ごせばいいのでしょうか?
それでは意味がない。
我々がブログという遊びを手に入れた意味、意義はまさにここにあるからです。誰もがイナゴであり、かつ食い荒らされる米穀足りうること。相互インタラクティブ。未知の他人に意見を述べたり、述べられたり、へこましたり、へこまされたり。そういった幅広い意見の応酬、引用、発展によって我々は彫琢される。少なくとも少しはマシになれるかな、と信じているのです。ただし、その際自身がイナゴたること、人の、覚悟なき、プロでもない人の「意見」「つぶやき」を手前勝手に食い荒らして意見を述べていることを忘れてはいけないと思います。そしてブログが、自分がそういう野蛮さをもっていることも。