前日の総括

前回の記事にたくさんの御反響、コメント、トラバ、ブクマ、はてなちゃんスター。有難うございました。
はてなは、ブログはもはや「日記」ではない - マントラプリの生涯原液35度
ええ、そうですね、この反響こそがブログのブログたる由縁(ゆえん)です。で、それを自分の中でより実り多きものにするために前回の記事に寄せられた意見を踏まえて自分なりに総括をしたいと思います。
-「ブログは日記じゃない」
ブクマを中心に多くのコメントを頂きました。私はブログを一種のアメーバと考えています。アメブと紛らわしいならニューロンシナプスといってもいいでしょう。アメーバもニューロンシナプスも周囲を取り込んで拡大を続ける。個人的に、現実空間でつけている日記は自分の思いを整理するために役に立つでしょうし、その結果新たなひらめきがあるかもしれません。しかし、それらは己の内からのみ導き出されるものです。
一方のブログは意見を書くことによって広範な、まだ見ぬ誰かさんからのコメントがやってきます。それによって
「ぺしょ〜ん。ひどい事いわれたよー」
と、嘆いたり。
その発想はなかったわ
となったりします。日記では内的にそういう感情が喚起されることはあって、こういった外部からの刺激は望めません。
で、ここからは人間論に話が移ります。人間は「個性」を持った「個別」の存在です。しかしそれはオリジナルということではありません。皆どこかの誰かから借りてきたものを使っています。厳密に自分が「所有」しているものはないのです。「思い」「思想」に関してもそうで、この世界に偏在するありとあらゆる要素から人は喜怒哀楽、形而上、形而下の反応を学び、反復し、自分のものとします。しかしそれは自分が生み出したものではないのです。
ええっと、何が言いたいのかというと、人間は一人では一定以上の思考をしえないし、それを深化させることができない、ということです。思索をより強度に、客観的にも確固たるものにするためにはそれを提示し、意見を求めることが必要である、と私は考えます。
ブログが「ログ」であるからには情報の集積という「京大カード」のような役割がありますし、はてなダイアリーが「ダイアリー」と銘打っているからには個人の思いを書き連ねる「日記」の部分も含んでいます。どちらの役割も果たしながら、またどちらでもない。それはブログがコメントその他によってつながる有機的存在であるからです。
書き連ねた文字がただそこに「保管」されるのではなく、不特定多数の人に閲覧されることによって有機的に結びつき、影響を与える。「京大カード」や「日記」が「文字のタンス貯金」だとしたら、「ブログ」は「文字の資産運用」になるわけです。ただ、元本がゼロになることは無い「必ず利息が付く資産運用」だと思います。その利息をどう取るかはその人次第ですが…。

-スルー力
こまき氏からの指摘がありましたように「スルー力」が有効に作用する場面は多々あります。なんかごっちゃになってしまったので二つの場合のスルー力についてそれぞれ言及したいと思います。
1 サイト主や2ちゃんのスルー力
いわゆる本来の意味でのスルー力だと思われます。「荒らし」や「しつこい書き込み」に対してそれを意に介さず話を進める力ですね。これがないとやってられません。というか電脳世界だけでなく、人間世界でも生きていけません。
2 話題になっているトピックスへのスルー力
今回問題としたのがこちらです。「はてな界隈で騒がれている話題にコメント、ブクマ、トラバ、はてなちゃんスターせずにあえて静観しよう」という趣旨。そうしてもいいんですけど、多分そのメッセージ性(「私はあえてトラバせずに静観している」という矜持)は誰にも伝わらないと思います。誤解された方もいると思いますが私のスタンスは「無防備な人にアクセスの嵐を加えることは炎上にも繋がり、野蛮な行為になりうることがあるけど、言いたいことがあったら言おう。ダシとして取り込んで自分のスタンスを不特定多数に問おう。そうできることがブログの良さ」というものです。
-はてなちゃんスター
私がかの黄色い星を呼ぶときの愛称です。あれ、色とかカタチとか変えられたらいいのにね。あ、でもそうなったら多くなりすぎたときに集計できないかぁ。