小林一三のもたらしたもの

昨日の続きです。さて鬼の話をしたところで少し閑話休題
鬼といえば思いつくのが鬼大師こと良源です。彼は日本天台宗中興の祖として多くの業績を残した11世紀初頭の僧です。角の生えた鬼の姿に変化できたことから鬼大師やら角大師と呼ばれ、天台宗の寺院では今でも良源が鬼の姿に変化した御札を祭っています。ちなみにおみくじを作ったのもこの人です。この良源。別名を元三大師といいます。これは正月三日に亡くなったことからつけられた名前です。
で、本題に戻ります。小林一三(いちぞう)。一三って面白い名前ですよね。ええ、何を隠そう、良源と同じくこの人も正月三日が関わってきます。正月三日に生まれたから一三(いちぞう)。
千年たってもネーミングセンスってあんまりかわらないんだなぁという例。

逸翁美術館を後にして、次に向かったのは池田室町住宅でした。この住宅地は池田駅南西に位置し、記紀以来続く古社・呉服(くれは)神社を中心として碁盤上に開かれています。

いまでは分譲より100年経った今では当初より続く住宅はほとんど見られません。それでも地割に変化はなく、ちらほらとですが当初の家らしきものも見られます。

前にも述べましたが、池田室町住宅をはじめとした阪急沿線の諸住宅は、日本最初の分譲住宅。ローン積み立て式住宅です。ちなみに高級住宅地の田園調布はこの阪急のアイディアをパクッて*1開発されたそうです。従来の日本にはなかった生産や職業が入り込まない純粋な「住宅」。われわれのライフスタイルの先駆けともいえる姿が池田室町住宅なのです。また、都市圏以外のところに人々が個人の意思で集住する。郊外型住宅のはしりでもあります。この住宅地も100周年を迎えます。

最後に、小林一三が生み出した偉大なものを紹介して筆をおくことにしましょう。
それは三つ。
ひとつは東宝東宝はこれは東京、宝塚を縮めた呼称で、東京宝塚劇場が正式名です。なぜ宝塚かというと阪急の開発した一大娯楽地(温泉、歌劇団、今はなきファミリーランド)だから。私が好きな黒澤映画や円谷特撮はほとんどが東宝作品です。
ひとつは阪急。西院から大山崎のウィスキー工場に行ったり、梅田のとらのあなに行ったり、伊丹のLeaf発祥の地に行ったり、西宮北口ハルヒのロケ地に行ったり、箕面温泉スパガーデンに行ったり、今回、池田に行ったりと。まさに阪急なくしては関西生活はありえません。
そして最後のひとつは手塚治虫。手塚はまさに小林一三の開発した阪急沿線の申し子でした。モダンでハイカラな阪神地域に生を受け、小学校は池田小学校で、宝塚歌劇団に生涯愛を捧げ続けた手塚の思想の形成に影響を与えた基盤は皆、小林一三によって整備されたものなのです。
阪急電鉄100年。そしてこれからは阪神と共に歩む、この鉄道会社の今後に幸多からんことを。

*1:本人公認。アドバイスもしてる