どうしてサンデー、チャンピオンはサクサク読めるのか?

最近四大少年誌を買っているmantrapriです。どうも今晩は。
ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンと四種類ある少年誌ですが、一ヶ月ほど買い続けて私の中での雑誌の期待度がはっきりしてきました。
サンデー→チャンピオン→ジャンプ→マガジン
の順番です。各少年誌ファンの人、勝手に序列化してスミマセン。お詫びの代わりといっては何ですが、どうしてこのような順序になるのかを述べさせていただきます。
最大のポイントとしてタームの長短があります。マンガの長さには大長編(二十巻以上)、長編(十巻以上)、中篇(十巻以下)、短編(一巻以内)、読みきり(100ページ以下)の五区分がある。と私は考えています。現代の週刊誌の多くは大長編を基準として設計されています。しかし、ひとえに大長編といっても、それぞれの作品のタームは千差万別です。
ここでいうタームとは「節の長さ」ということです。これは一章、二章なんかの「チャプター」より短く、一話、二話「トピック」より長い「区分」です。「聖闘士星矢」を例に図式化します。

(聖闘士星矢全編)>章(チャプター・十二宮篇)>節(ターム・紫龍対デスマスク戦)>話(トピック・雑誌連載中の一話)

ストーリーものは基本的にこの図式で区分できると思います。ここで問題にする節(ターム)は、一戦闘や一試合を指す区分となります。ギャグマンガなんかの場合は前後編でない限り、節=話となることが多いです。
この「節」の長さが程よい点が、私がサンデーを一番に推す理由なのです。例えば、金剛番長史上最強の弟子ケンイチ、ハイド&クローサーといったバトルものは一バトルが平均四話以下で終わるというスピーディさです。かつ、バトルの至るまでの因縁も含めて四話に納められているので、非常に入りやすい。
チャンピオンに関してもギャンブルフィッシュや悪徒、覇道などの戦闘はこの範疇に収まります。
一方ジャンプはワンピース、ナルト、ブリーチ、リボーンといった代表的な長期連載ほど、一回一回の戦闘が長く、また並列して戦闘を行っているため、「区切り」辛い部分があります。
同じことはマガジンにも言え、特にマガジンの場合はスポーツものを多く抱えているということもあり、一試合一試合にかかる話数の長さが他誌よりも抜きん出ています。
実際表にした場合は、ジャンプやマガジンもギャグマンガが一話完結ということもあり、サンデーやチャンピオンと比べ、それほどの差は出ないのです。しかし問題になるのは雑誌の看板になる連載の多くが長期連載かつ、長期タームということなのです。
その連載にずっと付き合っている読者ならともかく、ぽっと出の週刊誌読みの私にとってはジャンプ、マガジンの人気連載の「蓄積」とそれを前提にした「ターム」の長期化は、正直追いつくのにしんどい部分があります。ですのでジャンプならネウロやトリコ、マガジンならフェアリーテイルゴッドハンド輝ベイビーステップなど、一週間〜一ヶ月くらい続け読みすれば「結果」が得られるものをついつい好んでしまいます。
かといって「タームが短いものほどいいものか?」というわけでもありません。逆にタームが長くても花形や範馬刃牙は前後の流れが分からなくても気になりません。この二つには毎回毎回の「ご褒美」というか見せ場がシッカリと設定されており、かつ、そのパターンの豊富さで飽きさせないからです。節(ターム)は長いながらも、話(トピック)ごとに見せ場がしっかり区切れているんですね。だから気にならない。
単行本になったらこれとはまた別の感興を抱くのでしょうが、少なくとも「週刊連載」として見たときには、話の連続性、設定の蓄積よりも、
1.一話一話の充足性
2.タームの密度

のほうが重要になってくるのではないでしょうか?そのマンガに対する知識がまっさらな状態で一ヶ月読んで、情報や幕間の笑いといったものの他に、きちんとその回その回の「ご褒美」を貰えなければさびしいものがあります。*1まあ、話が長期化すれば必然的に上記のことを守り続けるのは難しくなるのですが…。*2

*1:石ノ森章太郎先生の場合、単行本として通して読むより、週刊連載で一話一話読むと「ご褒美」の美しさに唖然とする

*2:ジャンプに関してはるろ剣の一貫したタームの短さが好きだったんだけど、その後ぐらいからタームの長期化が顕著になったのか?一方のマガジンは昔(90年代)から全体としてタームの取り方に変化がない気がするが、如何?