旧毛馬閘門(きゅうけまこうもん)

今日から始まったこのコーナーは古代から現代までの人間の営み・建築を通して、私たちは何者か。どうして生きているのか。文化、文明とは何なのか。ポストモダンとは。ドリンクバーに通うと実感する「搾取」とは。よっちゃんイカはよっちゃん「の」イカなのか、よっちゃん「が」イカなのか。水性絵の具は舐めたらちょっと甘い。などの諸問題について検討したり、しなかったりします。
今日は「閘門」(こうもん)について勉強しよう。

これは大阪府北区にある「旧毛馬閘門」という施設なんだ。1902〜1907年までの5年間をかけて作られたもので、大阪府土木遺産だ。大きな門だよ。写真では伝わりにくいかもしれないけど。で、この門、どうやって使うかというと…。

うーん。はてなの新機能で図を描いてみたけどイマイチ分かりにくいかも…。かように、船の交通に際して水位の違う川同士を結びつける働きをするのが閘門なのです。京都から流れる淀川と、毛馬をから分流して中ノ島へと流れる大川の二つの河川を繋いでいたんだ。

これが前面部の門です。先ほどの写真を反対側から見た図です。ここを開いて船を閘門の中に入れます

次が閘門内部の写真です。図で示したように緩やかな坂になっておりまして、水位を調節します。両脇の鎖は水位調整中に船を繋いでおくためのものです。この旧毛馬閘門は、現在使用されていないため内部に入って閘門の大きさを体感できる貴重な施設なのです。下から見上げる門はだいはくりょく。

で、これが後ろの部分の門。ここから船は出て行きます。門が前面部に比べて小さいですが、地表からの高さは坂の勾配を含めて同じです。ちなみに今は河川とも接続していません。完全にリタイア。御年101歳の旧毛馬閘門。往時は京都伏見〜大阪天満橋間のメイン交通であった三十石船や石炭運送の船がここを通っていったのでしょう。(ただ三十石船の活動期間と閘門の活動期間は微妙に被らない)

閘門は毛馬閘門のほかにも日本全国に現存しています。しかも原液あ、ちがう現役のかたがまだいるというのもウレシイお話。大概が中〜小型船の移動に使われていることから、水運の盛んな商都(名古屋:松重閘門、富山:中島閘門)や河川の合流地点(伏見区:三栖閘門、愛西市:船頭平閘門)が多いです。ちなみに日本最古の近代閘門は1880年(明治13年)に大久保利通の尽力によって完成した宮城県花巻市の石井閘門です。
でも中には「閘門なんてたるいことやってられるか!おれは自分の部屋で寝るっ!!」という剛毅な一匹狼がおられます。水かさの推移を利用せずに船を上昇させる方法、さて、いかなる手段を使用して船を高地へと上げるのか。その答えは…また次回のお楽しみ。

<アクセス>
地下鉄谷町線堺筋線天神橋筋六丁目駅から徒歩15分
阪急千里線柴島駅、阪急京都線南方駅から徒歩30分


こちら現在活躍中の三代目毛馬閘門。旧毛馬閘門のお孫さんですね。巨大な入り口や、船のための信号なんかがついてたりしてモダーン。ただひらがなで大きく「こうもん」と書いてあるのがすこし気になります。あ、私だけ…?