色とりどりの シュールレアリスム 〜崖の上のポニョみてきた〜

ちゅーことで、先週「崖の上のポニョ」さ見てきたよ。雑感を描くよ。
宮崎アニメの中でも、今回のポニョはかなり「ヘン」な部類に入ると思うよ。たけくま先生はアヴァンギャルド(前衛的)と評しているけど、私はさらに限定してシュールレアリスム(超現実)なんだと思う。*1そこらへんのこと書くね。
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うん。まず、画面が雑多なのよね。ポニョは魚の子なので海のシーンから物語が始まるんだが、アメーバやらプランクトンやらがうじゃうじゃじていて、まさに「海の中」なんだよね。プールとか淡水では味わえない海独特の雑多さ。青い青いスペクトルの中に白いのやら細かいのやらでかいのやらが無遠慮にひしまいている。
そこのところは海岸も同じで、主人公の少年が岸壁に足を踏み入れるやフナムシがうざざーっと、動くのです。映画館のお子様やおかあさまからは「うへぇ」という声が漏れ聞こえたんですが、そりゃあそうだよね。海は「キレイ」「キタナイ」は別にして、様々な生物が渦巻く混沌とした場所だもの。まっくろくろすけやトトロみたいなキャラクタライズされたやつらばっかじゃないのさ。節足動物もアメーバもゾエアも蛇も海獣も「キモイ」やつらもうぞうぞいますよ。それがリアル。
で、「リアル」なのは生物の存在感で、画面はその逆。色鉛筆を基調とした極彩色の画面作りで、たくみに「気持ち悪さ」を回避している。アニメというフィルター、超現実化でもって現実を中和している。でも、「無菌室」どころか「カオス」。ここらへんのバランスのとり方でもって、トトロやまっくろくろすけみたいに「キャラクター化」することなく、雑多さや神秘性を上手く抽出している。巧みだよなぁ、匠だなぁ。
この映画を貫いていくのは「リアル」と、「シュール」の巧みなる融合。シュールレアリスムなんだよね。
そこを動くキャラクターはもまた存分リアル、だと思うんだ。
たとえば主人公の母親・リサさんがポニョの存在を素直に受け入れること。ここで引っかかる人もいるけど、逆にこの過程やセリフってスッゴいリアリティがあると感じる。男だったら(ちょっと差別的ですが)現実と、非現実。自分の世界と外界というのを明確に区分し、コレクションしたがる性質があるから、目の前の非現実にも観察、分析を加えるけど。女性なら、そんな表層より、まずその「存在」が自分やそれにまつわるものに好ましいかそうでないかということを、「感情」で判断するような気がする。リサさんは息子と自分の「感情」を第一に考慮に入れ、そこからポニョに対する対応=受け入れる。を導き出しているんだと思う。それって極めて「現実的」なんじゃないかなぁ。
そういうリサさんのリアリティは、息子を助手席に残したまま、駆け足で養護施設に行くところ(毎日のことなので慣れっこ。息子もそれによって感情を害されることは特にない。リアル)や、夫の不在にむくれて外食して気分転換を図ろうとするところに如実に出ている。こういった積み重ねでリサさんの感情や生活の機微を丹念に描いているから、彼女がポニョを受け入れることが、その流れで了解される。「感情として『了解』される」。「驚いて見せたり」、「網を持って捕まえようとしたりする」テンプレ化されたリアルよりも、なぜか「理解」できるんだよなぁ、そんなトコ。分かりにくいかねぇ?
で、この作品には男的な、特に成人男性の視点は極めて少ない。あったとしても非現実からやってきた男(フジモト)や通りすがりや不在の男(主人公の父親)のものしかない。だから必然的に主人公、ないしはそれをとりまく女性の視点がこの映画では支配的になる。そこのところ、また機会があったら書くね。
つまり、ポニョの中で起こる出来事そのものは「シュール」なんだけども、それを受け入れる感情は「リアル」なんだ。
他にも身体感覚がいちいちリアル。
水泡に張り付くポニョや、切り傷の丸い血泡や、海に入るときの靴の脱ぎ方や、抱きしめたときの肌と肉のめり込み方や、おねむの子供の表情や、赤ん坊の無表情や、生活機械の作動音や、木々の合間に漏れるヘッドライトや、魚類的、両生類的表情のポニョやら。
といってもむき出しのリアルではない。そこのところを色鉛筆の画風や、ディフォルメが「アニメ」に変えている。でもその質感は現実のもの。思いの集積も現実のもの。切り出し方も現実のものだ。
現実的でない出来事(シュール)に、現実的な感情や身体感覚を持つ女性やこども、及び現実的な空気を持った風景が配され(リアル)、それが色鉛筆風のアニメという二次元に描きだされる(シュール)。
このシュールによるリアルのハンバーガー構造がこの作品の最大の特徴だと思う。シュールレアリスムは現実を越えたものをさも現実のような空気感で書き出すけど、この作品では現実を越えた出来事を、現実の身体感覚や空気感で描き出し、それをまたアニメによって超現実に還元するという複雑な過程でもって描かれている。
アニメとは、現実とは、そんなことを考えさせられたなぁ。
でも、そんなこと、考えなくても、いいんだよなぁ。考えなくても、楽しいんだよなぁ。

*1:たけくま先生もシュールレアリスムていってますね。サーセン