1979年・キン肉マン誕生 〜キン肉マンのつくりしジャンプ1〜

ということで、私がこのブログ最後の日までにやりたいことキン肉マンが如何にしてジャンプを現在の形へと変革していったか」について述べさせていただきたいと思います。長い連載になりますがお付き合いください。

1979年5月28日。週刊少年ジャンプ22号。これがキン肉マンの始まりでした。
連載当時、ジャンプは連載陣の改変期を迎えていました。「激突五大ニュースター新連載」。1979年春の五大新連載に冠された名前です。
第一弾はみやたけしのサッカー漫画『GO☆シュート』。
第二弾は川島よしかずのハングライダー漫画『スカイイーグル』。
第三弾は『アストロ球団』、『朝太郎伝』に続く中島徳博の新連載『さすらい騎士道』。
第四弾は宮下あきらのデビュー作『私立極道学園』。
そして五大新連載のトリを務めたのが『キン肉マン』。そしてなにより、人々の記憶に、ジャンプの廟堂にその名を残し続けたのはキン肉マンでした。しかし、デビュー当時はそんなことを知るものは誰もいませんでした。読者も、担当編集のアデランスの中野さん*1も、眉毛が薄いトリシマ氏*2も、「おまえがぎせいになれ」の編集長*3も、もちろん作者・ゆでたまご本人ですら、予想だにしようがなかったのです。
だって、当時のキン肉マンギャグマンガだったのですから…。
1979年5月時点の連載陣を見てみましょう。
キン肉マンゆでたまご
私立極道学園:宮下あきら
さわやか万太郎:本宮ひろ志
さすらい騎士道:中島徳博
GO☆シュート:みやたけし
リングにかけろ車田正美
スカイイーグル:川島よしかず
悪たれ巨人:高橋よしひろ
すすめ!!パイレーツ江口寿史
ホールインワン金井たつお*4
こちら葛飾区亀有公園前派出所秋本治
ドーベルマン刑事平松伸二
コブラ寺沢武一
東大一直線小林よしのり
サーキットの狼池沢さとし
さて、1979年5月時点のジャンプの布陣には面白い兆候が見て取れます。◎を後ろに付したものはギャグマンガになります。面白いことにはパイレーツと悪たれ巨人はそれぞれ野球、こち亀ドーベルマン刑事はそれぞれ警察という対応関係にあります。一つの雑誌で野球と警察、双方の両極端漫画が見れるわけですね。
で、この対応関係に当てはまらないのが小林よしのりの受験ギャグと、キン肉マンの特撮ギャグなわけですよ。そうです皆さん、この時のキン肉マンは友情・努力・勝利の熱血プロレス漫画の片鱗はありません。この1979年時点のキン肉マンのメイン路線は特撮ギャグマンガなのです!しかも時事ネタ、パロディーネタ*5、内輪ネタ*6ばかりで、同時期連載陣のうち、ノリでは『すすめ!!パイレーツ』に、絵のドギツさでは「東大一直線」の要素を色濃く表しています。
そう、この時点のキン肉マンは、一巻の時点のキン肉マンはまだ何者でもなかった。しかし、それを変えるのが二つの要素です。このニ要素のおかげで、一巻時点では特撮パロディーでしかなかったキン肉マンが、二巻ではそこから脱皮し、後に繋がる多くの「因子」を孕むこととなるのです。
その「要素」とは「テリーマン」と「読者の考えた怪獣」。
つづく。

*1:中野祐介。キン肉マンのキャラクターにして担当編集。アニメではナチグロンやキン骨マンとともに優遇され、準レギュラー。愛妻家だが女房を質に入れる。ヤングジャンプを創建。少年ジャンプ2代目編集長

*2:鳥嶋和彦。ドクターマシリトで有名。キン肉マン作中で編集長に「わははは、マユゲうすいのう鳥嶋」と言われている。少年ジャンプ6代目編集長。Vジャンプを創建

*3:西村繁男。少年ジャンプ3代目編集長。スーパージャンプを創建

*4:サルまん」でも触れられていますが、この人が実にいい絵を描きます。山本直樹の画風に近いような。(こっちが先ですが)作者の描く『いずみちゃんグラフィティー』のような「美少女」漫画があったおかげで、『ストップ!!ひばりくん!』や『Dr.スランプ』の「美少女?コメディ」路線への進出が可能になったのでは、とも考えさせます。

*5:ウルトラマンやアメコミの特撮ネタを中心に、西部警察なんかも

*6:編集部がしょっちゅう出てくる。ゆでたまご本人が紙上で地元の友人や店に向かってメッセージを発する。小林よしのり江口寿史が出てくる