新宿東口アタリ前

「『当たり前』を探しにいこうよ」
とAは言う。僕は曖昧な微笑を浮かべながら、思う。「なにいってんだ、コイツ」と。
「いま、世界には『当たり前』が足らないんだよ。カルシウムなんかよりも断然さ。秩序というか、その、共通の規範さ」
「そんなもん、最初(ハナ)からありゃせんでしょう」と、僕。
「いやいやいやいや、キミ。にわとりを見てごらんよ。日本ではコケコッコー、アメリカではコッカドゥルドゥーだか。鳴き声の表記は違えども、ヤツラの声帯自体が違うわけじゃない。つまり受け取る人間が勝手に像をゆがめてるだけで、基本的な身体能力の違いはそれほど無いんだよ。そこんとこ、劣性、優勢のダーウィニズムを抜きにして語ろうっちゅーことさ。我々がどこまで一緒で、どこまで一緒じゃないか。そこんとこ。もう少し偏見無しに詰められないかねぇ」
思ったよりは、マトモな話みたいだが、だが、しかしねぇ…。
「そもそもだ、鶏に偏見がなくっても、我々はバベルの塔崩壊以後の弁別された言語の世界にいるんだぜ。お互いの言語を突き詰めながら一つの世界へのコンセンサスを取り付けていく。それも極めて平凡な。えらい手間な話だよ。つまりIとyouの問題に限定した二人称至高に陥ってしまうんだ。結局優勢、劣勢のクレームに墜ち合うか、下らん母音はaiueoですね。ってことぐらいしか確認できんでしょう。『当たり前』のための土壌を得るためには、類人猿に関する研究を待つよりほか無いよ。バベル以降の我々は偏見という名の道具を通してしか会話が出来ないのさ。それよりは僕はIとyouを観察するheの存在が欲しいね。それも人類規模で」
「つまり宇宙人か。そう考えるともったいなかったなぁ。ウルトラマンがバルタン星の移民数億人を虐殺したのは。彼等と地球上に強制的に共生して、ヤツラの学者に毎年レポートを提出してもらったら、我々自身の人類に対する理解が進んだだろうに」
「しかし、それを人類が偏見無しに解釈しうるかは考えものだね。そうなると、公平を期するために人類とバルタンの混血児を数億単位増産して、彼等に我々相互のレポートの判断を委ねる必要があるな」
「おいおい、話が戻るぞ。混血児だとしても自分の帰属するアイデンティティに惹かれるにきまってるだろ。姿形関係なく。それよりは試験管ベイビーに判断してもらうほうがいいんじゃないか?」
「そのベイビーの教育は誰がするんだよ、誰が。あーこうなってくると一神教に帰依したくなる気持ち、分かるわー。『誰にでも平等に優しくない存在』。憧れるわぁー」
「やはり『当たり前』を保障する機関の存在無しには、当たり前が存在し得ない。ってのは深く実感するところだなぁ。かといって『その無尽の野に生きることこそ、人間の本分よ』なんてニーチェ的なこと言われても、ひくわー」
「誰かが武器や権力を持って「これが当たり前だ」を押し付けてくれること、期待するよな。でも、いざそうされるとひくわー」
「かといって話し合いによって合意を得ていこうと言う、ソクラテス式もバベル以降のコスモポリタンミュージアムな現代では、実現可能性が低いってのはさっきまでの話で分かったし」
「結局、自分の出会う人、人種と『合意』を得られるまで対話しようってのが関の山か」
「それってただの日常ジャン」
「つまり『当たり前』か。ああ、不毛だ」