「マンガ」創造のためのバイブル

私の中で、この一冊がバイブルになりました。

マンガの創り方―誰も教えなかったプロのストーリーづくり

マンガの創り方―誰も教えなかったプロのストーリーづくり

この本はこんな方にお勧めです。
絵が描ける、
ストーリーは頭に浮かぶ、
キャラクターも創造できる、
でもなぜか、描けない。マンガが完成できない。
そんな人にとって、この本との出会いはかけがえのないものになるでしょう。保証します。私はこの本のおかげで三時間で『リュディア王クロイソス』のネーム(第一稿ですが)を作ることが出来ました。
この本の最大の特徴は、マンガ入門にありがちな「絵の技術書」ではなく、「構成の技術書」であることです。
しばし、マンガ入門や技術書のなかで「構成技術」はないがしろにされてきました。多くの本がGペンの使い方や、集中線、アミカケの描き方、表情のパターンなどに紙数を費やす一方、肝心の「ストーリーをマンガにおろす作業」に関しては、「起承転結を踏まえろ」だの、「大切なシーンは大きなコマで」だの、「自分にあった方法でやろう」だの、プロット(原案表やおおまかなアウトライン)→ネーム→下書き→ペン入れという基本的な流れに触れるだけで、その「具体的な方法」に関しては「何も言っていない」に等しい状況なのです。
この本はプロット→ネームの行程を徹底的に検証します。そして500ページもの長さにわたって自身の確立した方法と、その効果を披露し続けます。ストイックな本です。マンガ入門にありがちな華やかさも、にぎやかしのイラストもありません。ただ、ひたすらに文字が並びます。
しかし、「マンガで一生食っていこうと思う」人にとっては1万枚のマンガよりも、絵よりもありがたい、血肉でしたためられた「文字」なのです。私が、この本によって如何にして「盲を開かれた」か。その部分をピックアップしてみます。
起承転結に対する私の認識が根底的に間違っていた…私は今まで、
起(オープニング)→承(ストーリーの大まかな本編)→転(ラスト近くのどんでんがえし)→結(ラスト)
と考えていました。そのため、承の部分がだぶついて、余計な脂肪がついていました。しかし、この認識は「起承転結」という文字にだまされていたのです。山本氏の起承転結は、
起(事件のはじまり)→承(メインのシーンが来るまでの事件の展開)→転(メインシーン)→結(ラスト)
だったのです。この違いは大きい。具体的に言えば起承、転結と二つに区分する場合、後者は前者のページに比較して四分の一以下と私は(勝手に)思っていたのです。「起承転結」という言葉に引きずられて…。しかし山本氏の定義で言えば、起承と転結は同じページ数になるのです。
もちろんプロットやシナリオ段階での分量は起承の方が転結よりも多い。ですが、最終的なマンガのページ数では起承=転結となる。
つまり、転結はそれだけ余裕を持った演出が出来る、いや、「するため」の「場所」ということなのです。これを私は根底的に分からなかった。いやね、一言で言えば「見せたいメインシーンは最後に持っていく」ということになります。どのマンガ実用書でも言っています。でもね、こんなありふれた言葉じゃ分からないんですよ。私がやったみたいに、いや、それでもダメだ。山本氏の著作のように百万言を費やして、例示するほどでなければ、その具体的な意味も、方法も、実感も、わからない。この断絶は、大きい。
ベタを嫌い、かつベタを重んじる…マンガでも小説でもそうですが「ベタ」は徹底的に嫌われます。我々はベタシーンが出てくると「うわっ、ベタやナー」といいます。でも、それは自分が決してベタをしないからではない。むしろ我々はそのままでは、意識して鍛えなければ「ベタ」な行動をとり続けるのです。
で、さらに問題なのは「オレはベタジャねー」と叫んで、突飛なもの、奇抜なものばかりに飛びつく中二病的発想。これはベタよりも論外なのです。なぜか?
ベタはそのままベター(better)に繋がります。洒落じゃないですよ。ベタは誰にでも受け入れられる「常道」なのです。多少飽きられ、食傷気味なことは確か。でも、やはり、皆が好んでいる要素なのです。だからベタに走るのでも、ベタを避けて誰からも受け入れられないものをやるのでもなく、大切なのは、「ベタの上に独自性を積み上げる」ことです。
山本氏のすばらしさは、その方法を合理化して「マンガ構成」の手順の中に組み込んでいることです。
山本氏はネームを第一稿と第二稿に区分します。そして文章をネームに組みなおすとき、第一稿は初めから「踏み台」にするために作っておくのです。山本氏の第一稿のネームはセリフも、構成もかなり「ベタ」。しかし、それはそうなるのです。頭の中で新規なもの、珍奇なものをこねくり回してプロット段階で止まるより、具体的な図面(ネーム)として書き出して、そのベタをたたき台にして、大まかな変更を加えていく。
「ベタを前提としたネーム作り」。そしてそれを図面化するからこそ、問題点やベタさ加減、省略する部分が明確化する。脚本や構成段階で「ベタさ」に悩むのではなく、仮組みしてから「ベタさ」に悩む。それまではベタでも何でも、ストレートに叩きつける。そうしてマンガのかたちにしてから、考える。ネームは完成ではなく、中心的な設計図として、たたき台として、扱う。この発想は珠玉です。
この本の魅力は、実際手にとって、500ページを精読して、付き合わないとわかりません。上記の部分も一部にすぎないのです。もっと大切な武器になる。宝になる「方法」が描かれている。
この本に出会ってよかった。出会わなければ、と考えると、ぞっと、します。私にとってそんな本になりました。キャラクター、イラスト、ストーリーに対するカルマがあり、念がある。でも、「マンガ」に出来ない。そんな人がこの本を読んで一人でも救われますよう、切に。