やる夫に見るキャラクターコンテンツ

最近、愉しく見させてもらっているものに「やる夫が〜になるようです」シリーズがあります。
これは2ちゃんねるのAAキャラクターであるやる夫がある職業や、架空、ないしは歴史上の人物を演じるシリーズで、現在までに
あんそく やる夫が徳川家康になるようです 三河編 【第1~3話】
やら、
やる夫ブログ やる夫がハゲの借金王になるようです
なんかが有名シリーズとしてあります。私個人的には「やる夫が李斯なようです」が、徐々に脂が乗ってきていて好きです。今回はこのやる夫シリーズの面白さについて述べながら、その「キャラクターコンテンツの妙」について語っていきたいと思います。
このシリーズ例えば、徳川家康ならやる夫が徳川家康、パートナーのやらない夫石川数正というように、AAのキャラクターごとに歴史上の人物が割り振られていきます。つまりAAが歴史上の人物を演じる「劇」の形をとるわけです。
しかし、歴史モノというのは得てして群像劇。多くの登場人物が出てきます。そうなるとやる夫ややらない夫、できる夫、オプーナーやる夫などの「やる夫一門」のみでは配役が足らなくなります。そこで出てくるのがアニメや漫画、ゲーム等の他作品のAAです。徳川家康の場合、涼宮ハルヒSOS団の面々が真田一族と十勇士を演じたり、福本伸行キャラが毛利家、逆転裁判キャラが豊臣家を演じたりします。つまり、一族を作品ごとに割り振って、グルーピングしているのです。この際、歴史上の人物と、そのキャラクターの共通点が重要になります。「やる夫シリーズ」の成否はこのキャスティングにかかっている、といっても過言ではありません。毛利元就=赤木しげる斉藤利三=ナッパは、私の中で大ヒットでした。
つまり、「キャラクターがキャラクターを演じている」のです。
もう少し細かく見ていきますと、AAのたちには「キャラ」、「キャラクター」、「ロール」という三つの属性があります。真田幸村を演じている涼宮ハルヒを例にしてみます。
【キャラ】…その人物の外形的特徴を指します。涼宮ハルヒでしたら、女、いとうのいじのデザイン、黄色いヘアバンド、茶色がかった髪、大きな目エトセトラ。
【キャラクター】…その人物の内面的特長。つまり性格や行動原理を指します。トラブルメーカー。世界に不満を抱いている。キョンを憎からず思っている、などなど。
【ロール】…作中における役割のこと。涼宮ハルヒシリーズにおいては、彼女は世界の創造主であり、SOS団の団長であったりするわけです。
やる夫シリーズにおいては、これらの三つの要素のうち「キャラ」と「キャラクター」を維持しながら、ロールのみが歴史上の人物と入れ替えられています。これが読者の作品への「導入材」となるわけです。
歴史やコーエーカプコンのソフトに興味のない人間は、「真田幸村」という歴史上の人物の「キャラ」にも「キャラクター」にも、「ロール」にも興味を抱きません。しかし涼宮ハルヒという現今のアニメの登場人物に置き換えることによって、キャラ、キャラクター部分の導入をスムーズにするのです。そして、その二要素に助けられたまま、話を読みすすめるうちに自然と真田幸村の「ロール」が頭に入ってくるというわけです。
ここでのキャラAAは我々と歴史上の人物との間の「触媒」(しょくばい)の役割を果たしているのです。
次に特筆すべきは、あらゆる次元のキャラが「同居」しているということ。「やる夫が〜になるようです」の世界は文字とその延長のAAのみで表された世界。そこに入ると実写であろうが、アニメであろうが、少年、少女マンガであろうが、ゲームであろうが、単純なAAであろうが、すべてAAという、「均質化した記号」へと変換されます。
これによって本来並べたら生じるであろう、キャラクターの媒体の違いによる違和感(いわば出来の悪いコラージュを見ているような、不自然な合成写真をみているような)が緩和され、自然な同居を可能にしているのです。ニコニコ動画でも異種混交の世界はさんざん繰り広げられていますが、やはりコラージュのぺたぺた感はぬぐえない。AAはその「異世界交流」を、記号の単純さ、抽象性ゆえに、かえって実現しているのです。
これら二つの行程を通して、次第に面白い自体が生じてくることになります。それは「AAキャラの深化、個性化」です。「やらない夫」においてその傾向は顕著に表れます。
やらない夫はやる夫のパートナー兼保護者兼ツッコミとして、やる夫シリーズにかかせない登場人物。やる夫の相方です。そのロールは「相方」として固定されているはず…。ですが「やる夫が〜になるようです」シリーズにおいて、ナビゲーターの彼にシリーズに共通した独自の「ロール」が割り当てられようとしています。
徳川家康」では石川数正、「ハゲの借金王(ユリウス・カエサル)」ではティトゥス・ラビエヌス、「李斯」では韓非、これは「やる夫が〜になるようです」シリーズにおける、やらない夫の役割です。先の展開を知らない人にはネタバレかもしれませんが、これらすべての歴史において、やる夫が演じるロールとやらない夫が演じるロールは「決別」します。そして多くは互いに殺しあう結果が待っています。
多くのやる夫シリーズにおいてやらない夫は相方であり、教師であり、庇護者でした。と、同時に多くのシリーズでやる夫はやらない夫の指導を受けながら、そこから旅だち、新たな道を切り開いていきます。つまり、やらない夫から「去る」のです。
しかし「歴史もの」においてそれは更に過酷な形をとります。やらない夫はいわば神話学でいう「親殺し」の殺される親としての役割(ロール)を付されることになるのです。そしてそれを転換点として、以後のシリーズは「庇護者なきやる夫」の生を描いていくのです。
やる夫は主人公という固定した「ロール」を割り当てられます。
やる夫一門(できる夫、オプーナーやる夫など)はその親族ないしは家臣団の「ロール」を担います。
他のAAキャラは、歴史上の人物の「キャラクター」との近似値にしたがって配置されます。
やらない夫だけが「去りゆく盟友」「殺される庇護者」という自身の「ロール」にしたがって、歴史上の人物が配置されるのです。キャラクターとして最も「特権的」な地位にいるのがやらない夫なのかもしれません。
かように、「やる夫が〜になるようです」シリーズは多くの可能性を秘めたまま、一定の様式を持ち、名も知らぬ作者によって連載されているのです。お気に入りの歴史人物、興味のある時代が取り上げられている場合も、そうでない場合も、是非、その妙味に触れられんことを。