第三十六『難』一 矛盾

語源から物事を説得してくる人って何なの? - ココロ社
こちらのブログを拝見して、ふと韓非子を思い出しました。「物事を説得するのに、ロジカルさなどは必要ない」とは確かに仰るとおり。ですがそれは自分の「生存」に影響しない話に限ってでしょう。
たとえば「自転車の運転を間違えて老婆をひき殺してしまった」というような、不意の犯罪を犯してしまったとします。ここに人がやってきて「人を殺したのだから、キサマは死刑じゃー!!」といきなり言われても困りますし、あまつさえ刀を振り上げられたら抵抗しますよね。おのれの「生存」に関わる話では、たとえ「勢い」「道理」が相手にあっても抵抗します。
ですが、そこに「刑法」だりなんだりの、「万民が共有、支持する法」が仲立ちとなればどうでしょう?嫌々ながらも縛に就き、正しい裁判を受けようという心持ちになるのではないでしょうか。
「法というロジックを根拠とする」ことで初めて、人は自分にとって理不尽な「結果」を受け入れようとするのです。
と、揚げ足取りをしてしまいましたが、今回言いたいことはそれだけではありません。実はココロ社さんの「言葉の由来が、常にその言葉の本質であるとは限らない」という提案、これは「法というロジック自体の根拠」を考えるにあたって非常に面白い意見なのです。
なぜなら法家(ほうか)の大成者『韓非子』も同じことを言っているから。
今回は『韓非子』から、「原初に遡って物事を考える」という行為について考えたいと思います。
有名な「矛盾」の説話を使って。

楚(そ)の人で盾と矛を商うものがいた。自分の売り物を誉めて言うことには、
「私の売る盾の硬いことといったら、貫くもののないほどだよ」
また、矛を誉めて言うことには
「私の売る矛の鋭いことといったら、貫かぬものがないほどだよ」
ある人が言った。
「あんたの矛で、あんたの盾を突いたらどうかね?」
楚の人は返答に窮してしまった。
そもそも、「何ものをも通さぬ盾」と、「何ものをも通す矛」は同時に存在することは出来ない。今、尭(ぎょう)、舜(しゅん)両人の治世を同時に誉めるのは、「矛盾」というものである。
                                   『韓非子』難一

これが「矛盾」(むじゅん)という言葉の語源となったものです。おっと、『語源』を持ち出してしまいました。失礼。
この有名な説話が収められている「難」(なん)篇は韓非子が先学のあらゆる説、故事に難癖(なんくせ)をつけていく章となります。要は先学に喧嘩を吹っかけているわけですね。そこで一番の攻撃対象となるのが「儒家」(じゅか)です。
儒家つまり、「儒教」は孔子から始まり孟子によって発展を遂げた学派です。この派の特徴は「古の道」を重んじる事にあります。「古の教え」というと古臭いものをイメージするかもしれません。しかし、「革命」という言葉を生み出したのが『孟子』であるように儒家の「復古」とは現体制の維持ではなく、「古の道」を根拠とした改革にあります。
ある国では、昔からその国に伝わる慣習を根拠として政治を行っているとします。いわゆる「慣習法」というヤツですね。儒家はこれを「古の道」として「肯定」するのか?しません、なぜならそれよりモット古い「古の道」をこそ、儒家は奉じているからです。
儒家が典拠とするのはその国の法が生まれるより昔、すなわち王朝・周の初代の国宰であった周公旦(しゅうこうたん)の時代の法です。しかもただ、周公の法のみを重んじるのではなく、さらにその背後にある古の聖君主・尭(ぎょう)、舜(しゅん)の時代まで持ち出すのです。この二人は実在すら分からない原始人で、その人たちが説いた「法」となると孟子なんかの同時代人(紀元前の人たち)でもちんぷんかんぷんの世界の話となります。「慣習法」どころの話ではありません。
つまり、「古の法」にかこつけて好き勝手なことが言えるのです。
儒家の「法」とは、ココロ社さんが批判したような「よくわからん「語源」を持ち出して、根拠とする」行為と類似します。で、韓非もその点を批判していくのです。「矛盾」の説話の手前では以下のことが述べられています。

歴山(れきざん)に住む農民が畑の境について争っていた。しかし舜が行って耕すと、一年で畑の溝や畝が正しく整備された。
黄河のほとりの漁師が漁場を争っていた。しかし舜が行って漁をすると、一年で年功序列の正しい規範が出来た。
東の作陶者が作る器はもろかった。しかし舜が行って作ると、一年で硬い陶器が出来るようになった。
孔子が感嘆して言うには
「耕作、漁労、作陶は舜の役目ではない。それなのに舜が行って(人々を)救ったのは、悪しき習慣を改めさせようとしてのことである。舜こそはまことの仁者であるよ。つまりはみずから苦しいところに行き、民はこれに従う。故に言う。『聖人の徳による教化(徳化)である』と」
とのことだ。
                                   『韓非子』難一

これで儒家のスタンスが分かると思います。すなわち舜が行く前の農耕、漁労、作陶が「慣習に従った悪しき法」であり、舜の教化こそが「古の正しい教え」であると。で、ここからが韓非のターン。

ある人がそのこと(孔子の説)について儒家に尋ねた。
「舜が徳化を施していたとき、尭はどこにいたんですか?」
儒家が答えるに、
「尭は天子の位であったのだ」と。
「それなら孔子が尭を聖人とするのは、どうしたことでしょう。聖人が明察で高い位に就いているのは、天下の悪事をなくさんがためです。もし耕作、漁業も争わず、陶器が粗悪でなければ、舜がわざわざ徳を施す必要もなかったはずです。舜が人々を救うことが(救う余地が)あったのは、尭が失政をしていればこそではありませんか。舜が賢人だとすれば、すなわち尭は明察ではないことになり、尭を聖人とすれば、すなわち舜が徳化する余地がないことになります。両立しませんよ」
                                   『韓非子』難一

この後に「矛盾」の例が示されます。尭が賢人であったなら、舜いらない筈だし、舜が聖人であったなら、尭は善政をしていなかった事になる。二律背反(パラドックス)というやつです。どちらを立てるにしても、どちらかを貶めねばならない。両者を仰ぐ儒家にはそれができない。韓非、意地が悪いですね。
ここでもし「その頃、人類は発展段階であった。二人は協力して徐々に徳化をなしていったのだ」とでも答えようものなら、
「そんな骨董品の教えが今の役に立つか!ウィンドウズのサポートが終わり続ける世の中だぞっ!」
と返されるのがオチですし、事実他の篇でそう言ってます。ウィンドウズについては言ってませんが…。
韓非は「慣習法」やそれを否定する「古の法」を併せて否定します。それに替わって、信賞必罰、役人の相互監視、文書主義など「客観化された法」の重視を訴えます。韓非の提唱した「法概念」が、やがて「律令法」へと発展し、日本人を900年に渡って拘束し続けます。さらには現代の我々の法意識にも影響を与え続ける事になるのです。
始原に遡って根拠とし、それを至尊のものと崇める行為は2200年前からすでに否定されていたのです。それなのに未だに2200年前の本を「根拠」として崇めている私はなんなのか?ああ、パラドックス