『悪魔くん』に見る「コンビ主人公」の魅力

悪魔くん Vol.1 [DVD]

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いやー、うーん。面白い。
東映特撮黎明期の作品でありながら、今では見られない等身大の主人公と巨大な敵との戦い。創意工夫に溢れた「魅せる特撮」。これらを毎回意識して作っている。なにより子供がフォーマット的に解釈されてないのがいいね。常に主体的に動いてる。
で、なにより感心したのが方法論。「コンビ主人公」の生かし方!
シャーロックホームズ以来の「キャラクターもの」の伝統だと思うんだけど、二人主人公体制ってあるじゃないですか。ホームズだったら、ワトスンくんが事件を持ち込み、我々の常識に近い解釈をする。ホームズはそれとは逆に、我々の常識の及びも付かない方法で、事件を解決する。
これってホームズだけだと、我々はその独自の解釈についていけない。ワトスンくんだけだと、何の変哲もない日常が続くだけ。
この二人がコンビでいることで、初めて物語は動き出し、我々はその中に没入できる。二人で一つ、なワケ。
実は「脇役」って言葉で表されるキャラクターは、ストーリーの流れの上では主人公並、いやそれ以上の重要性を持っていたりする。そういう重要度の高い脇役は、ここでは「コンビ主人公」と位置づける事にします。
悪魔くん』でこれに当たるのは主人公の悪魔くんメフィストフェレスとなります。
悪魔くんはソロモンの笛と、頭脳以外は平凡な小学生。
一方メフィストはあらゆる魔術を使いこなすことが出来る悪魔。
この二人が「コンビ主人公」としてどのようにバランスをとっているのか?

1 事件発生。悪魔くん遭遇(悪魔登場)

2 メフィストに助けを求める、拒否。ソロモンの笛。

3 メフィスト、悪魔と戦うがうまくいかない

4 悪魔くん智慧を絞る

5 メフィスト、敵を倒す

この1〜5の流れが『悪魔くん』という作品の基本フォーマットとなります。この中で悪魔くんが重要な役割を果たすのが1、2、4.メフィストは2、3、5となります。
メフィストはこの作品の中では巨大な力を持つ存在です。しかし人間の持つ「良心」や「智慧」はありません。見かけに反して「イノセントな存在」なんですね。*1
ですから2のシーンにおいても自分の快楽を求めるメフィスト悪魔くんのいうことを聞かずに常に勝手なことをしていますし、3のシーンでも勝手な闘い方をして、敵にやり込められます。
そこで悪魔くんの必要性が出てきます。メフィストに足りないのは「良心」と「智慧」。2でいうことを聞かないメフィストに対して、悪魔くんはソロモンの笛を吹き、服従させます。また3で敵に勝てないメフィストに対し、悪魔くん智慧を絞って、対策方法を伝授するのです。
主人公のもつ属性のうち、「力」をメフィストが、「頭脳」を悪魔くんが体現しているのです。
この「頭脳」を体現する主人公と、「力」を体現する主人公の「コンビ主人公」体制は60年〜70年代の平山亨(ひらやまとおる)プロデューサーの作品に一貫して見られる傾向です。

・『ジャイアントロボ』では草間大作少年が頭脳、彼が操るジャイアントロボが力を体現します。
・『仮面の忍者 赤影』では主人公・赤影が中心となるものの、赤影登場までは青影が頭脳、白影が力の役割を果たします。
・『河童の三平』では三平少年が頭脳を、六兵衛さんが力を体現します。
・『人造人間キカイダー』では頭脳と力が主人公・ジローに一元化される代わりに、彼は体内の不完全な良心回路によって常に(良)心と(暴)力の間を揺れ動く事になるのです。
これらの傾向から分かるように『悪魔くん』から『キカイダー』にかけて、頭脳と力が一人の主人公に収斂されて行く過程がうかがえるでしょう。それと共に「少年」が主人公から脇役へと追いやられていく過程も…。
では70年代を以って「コンビ主人公」は消えてしまったのでしょうか?
「力」と「頭脳」の同一化は完全になしえたのでしょうか?
否(いな)、否(いな)。
特撮の「心」と「頭脳」は、今でも分裂したままなのです。
そう「変身!」
その言葉を唱えた時、人間は怪物になる。神になる。頭脳を持った人間が、戦うだけのマシーンになる。
それが仮面ライダー。それがウルトラマン
特撮の「頭脳」と「力」は、分裂したままなのです。一人の体に二人を背負った、力と頭脳が分かれたままの「変身ヒーロー」。彼らはウルトラマンによって結合され、仮面ライダーによって広がった、「コンビ主人公」の一つの姿、なのですから。
現在、力を振るうものと頭脳を持つものが混濁化し、変身前と変身後の、日常と非日常の、暴力と頭脳の区分がなくなってしまった「特撮」。
頭脳の、良心の象徴であった「少年」を復活させるのは、今なんじゃないかなぁ。
大人の都合の良い「イノセント」じゃなく、大人の白痴を、「イノセント」な暴力を暴露する「頭脳」として。子供たちが自分を投影できるに足る「快活さ」と、「したたかさ」と、「センチメンタル」をもった存在としての少年を。
「頭脳」と「力」を、もう一度分けて考えるべきときに特撮は来てるんじゃないかなぁ。
なんて、私は思うんですがね。*2

*1:ここでの「イノセント」とは無邪気なゆえ、善悪区別無く行動してしまう。というマイナスな意味合いで述べております

*2:それって『名探偵コナン』じゃん、ってツッコミは…ありです。