みにくいあひるのこ
みにくいあひるのこがいました。
みにくいあひるのこはとりたてて醜いわけではありません。
むくちなわけでも、きょうぼうなわけでも、なかまづきあいがわるいわけでも、ありません。
ただ、みにくいのです。
みにくいあひるのこは「見えずらい」のです。
いつのまにかうしろにいる、と、みなはいいます。
きづかなかったよ、と、友だちらしきひとたちはいいます。
みにくいあひるのこは、みてもらいたいのです。
みられるためなら、どうなってもいいとすら、おもっています。
たとえきたないことばをあびせられても、いしをなげられても。
みられる幸運にくらべれば、なんということはありません。
みにくいあひるのこは、どんなてをつかっても、どんなにじぶんをすりへらしても、
白鳥になりたいのです。
しらとりの悲しみも、そのすがたゆえのふこうすら、いっさいがっさいとりふくめ、
あひるのこは、白鳥に、なりたいのでした。
みにくいあひるのこはそうやって
おのれすら
見えなくなって、しまったのでした。