みんみんぜみとぎょうざ

みんみんぜみがみんみん鳴いております。
みんみんといえば私なんかの年代には「餃子のみんみん」が思い出されます。そういえばスーパーには「せみ餃子」というのも売っておりますな。いやはや。なにかと両者、縁が近い存在のようで。
餃子の本場・中国では蝉は幸福の象徴であります。その信仰は古く、漢代の王墓からも蝉を象った石像が見つかっているそうです。
死者といえば私は魂には質量があると考えます。
なぜなら輪廻転生を考えたとき、魂の重みが近いものに生まれ変わると考えれば、人間があれほど悪行を積み重ねる生き物であるにも関わらず、人間へと生まれ変わる例が多いことの照査になるからですわ。
つまり人間が人間に生まれ変わりやすいのは、魂が人間の中にくらすうちにその器(うつわ)の容積に適合するように、さながらバケツに一定量の水がたまるがごとくに満たされ、死後、そのたまった水が魂の体積となり、それを満たすことのできる体を探すという寸法ですな。
で、餃子というのはあれです。ちょうど蝉ぐらいのサイズなんです。
つまり蝉の死後、もっとも生まれ変わり易いのが餃子ということになります。
これは悲惨です。特に関西の蝉。
彼らは一日に百万匹のホロコーストに遭うのですから。
餃子一日百万個。「餃子の王将」という場所で。
おそまつでした。