惜しみなく自己愛は与え

他己愛は限りあるもの。
自己愛の底は知れない。
聖人の如く愛するのではなく、己の如く愛したい。

玩具のように愛捨てず、己のように保存する。
愛が足りないとは、他己愛がないのではない。自己愛を他人に及ぼしていないのだ。

ナルキソスがほろびたのは、自己愛が過剰なる故ではない。その弁の開きかたをしらなかっただけだ。
己が一人で生きていることを知れば、己の目のみが世界を捉え得ることもまた知る。

己の愛し方をもて人は生まれ、死ぬ。
人の愛し方を学び人は人となる。
人を愛するという仮定に没入する
他己愛を信じるものは、他者を対置できることを信じるものだ。この世界を疑わぬものだ。

他己愛の実存を信じるものは「他者」を切り離すことができる。
他者の瑕を見ることができる、己の瑕を放擲して、見ることができる。
自己愛の鷹揚さを、他己愛は持たない。
なぜなら、そこに溝があるからだ。「溝がある」という仮定を他己愛が暖め続けたからだ。

それは溝ではない。他己愛を保つために仮構したものだ。
己自身だとて分裂はある、溝はある、許せぬ瑕がある。
しかし人はいつでも鷹揚さでそれを補ってきたではないか。
瑕を忘れ生きても、生存に傷はつかぬではないか。
自己愛のボンドは、分裂をつなぎとめる、そうして人として、ひとつの形として、ある。

他己愛を己に取り戻さねばならない。それを己から切り離していったのと同じ努力で。

他己愛は限りあるもの。
自己愛の底は知れない。
聖人の如く愛するのではなく、己の如く愛したい。