埋めたり、埋まったり

…埋めたり、埋まったりで映画紹介。
まずは埋めたり…。

いわずと知れたヒッチコック監督作品にしてシャーリー・マクレーンの銀幕デビュー作。
死体となった「ハリー」を巡って四人の男女がドタバタする、スラップスティックコメディなんですが、ドタバタの舞台がバーモント州の片田舎なもんで、テンポが牧歌的。男も女も、生者も死体も、どことなしか牧歌的です。
シャーリーはデビュー作でいきなり子持ちの未亡人役です。こんな若い未亡人がいるかっ!!主人公の画家とすんなりフラグを立ててゴールインしてしまいます。死体が取り持つ仲というやつですね。ヒッチコック作品の主人公って、常識ではあまりひねくりだされないような変な感性と主張の持ち主が多いのですが、主人公の画家もまたしかり。死体を見ても驚かないし、ひょうひょうとしているし、スケッチしだすし。変な理屈と哲学をこねくるくせに、ぜんぜん芸術家っぽくない。まあ、出てくる人物がみんな船乗りっぽくなかったり、未亡人っぽくなかったりと、「それっぽくない」ので、いまさらですね。なにせ死体だって「死体っぽく」ないんですから。
紅葉の片田舎にシャーリーの青い服と赤いコートが映える映画です。
アイテム捌き(さばき)は牧歌的な世界と違い、怜悧な刃物のように鮮やか。あらゆるアイテムが二人以上の人物共有され、意味を持ってくる。最大のアイテム「死体」をはじめ、凶器であったり、ウサギであったり、車であったり、絵であったり。アイテムがキャラクター並みの存在感を持ってる作品は、やっぱりマスターピースだと思う。
アイテムのピースが嵌って、ピースが来れば、大団円。



…次は埋まったり。

ウィリアム・ワイラーはいわずと知れた『ローマの休日』の監督。オードリー・ヘップバーングレゴリー・ペックのひとときの恋。そんな甘い思いを胸に、オードリー主演ということでこの作品をジャケ買いしようものなら…
地獄を見ます。主にシャーリー・マクレーンが。
シャーリーとオードリーのレズものということで、ワクテカしながらテレビの前にスタンバッテいたよい子の私も地獄を見ました。
そうです、ウィリアム・ワイラーは甘い恋心を抱いたままさわやかに別れるローマの休日ワイラー」と、甘い恋心を本人だけは抱いてるつもりで監禁致死の「コレクターワイラー」の二種類いるのです。こっちは後者でやんした。
女学校を共同経営する二人・オードリーとシャーリーは友人同士。しかし一人の餓鬼が流した「レズ疑惑」の醜聞から、二人は地獄のどん底に叩き落されます。女学校は廃校、裁判は敗訴、町の連中は好奇の目で見る、あまつさえシャーリー、「わたしはほんとうにレズだったのじゃないか知らん」とアイデンティティが完全に破綻してしまう始末さ。最初は慈愛と知性をたたえていたオードリーの黒目も、番組後半になってくるにつれ昆虫のように光を発しなくなり、頬は彫像のように硬直します。われらがシャーリー・マクレーンも人格崩壊しだして三角の目をツンツンまゆげをくしゃくしゃしながら泣き喚いて狂います。
『噂の二人』なんて小粋な邦題をつけたやつ、出て来い!ジャケ買いしてしまったいたいけな『ローマの休日』ファンのみなさんや、ユニセックスな『お熱いのがお好き』的なコメディを期待していた私や、『制服の処女*1みたいな寄宿舎独特の健康的な同姓恋慕的展開を期待していた私や、私や、私にっ、誤れっ!ちがった謝れ!!


え、「なにが埋めたり、埋まったりなんだ?」だって。そいつは映画を見てもらえればわかります。そして私と「シャーリーが狂って梁にプラプラ浮かぶ苦しみ」を分かち合いましょう。

*1:ワイマール期のドイツ映画。日本ではATG創設者・川喜多かしこによって買い付けられ、東宝の礎を築くことになる。このころはレズオッケーやったのに、戦後のこのアメリカ映画のほうが世間の風当たりがひどいぞ